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[旧佐賀市][ 寺]は139件登録されています。
旧佐賀市 寺
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楊柳寺
【山号】曹洞宗大悲山楊柳寺 【本尊】楊柳観世音菩薩 【開山】湛然梁重和尚 【開基】鍋島直茂 【由緒】藩祖鍋島直茂公が大病に悩まされた折種々の良薬も効果がほとんどなかった。そこで御本尊である観世音を御信仰され楊柳観世音像を現して「吾は鋤崎海中にあり、吾を迎えて祭れ」とのお告げにより迎え奉ったとされている。 この寺は明治に至るまで鍋島家との関係が最も厚く、盆祭、御施餓鬼会等が厳守されていた。
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楊柳寺縁起
当寺の創建は慶長3年(1598)にして、本尊は楊柳観世音菩薩なり。かつて鍋島直茂公征韓の役に出陣し、凱旋の後大病に罹り日々重態に陥られけらば、臣等一同、日頃公の信仰篤き楊柳観音に平癒祈願を籠(こ)めしに、数日の後、霊夢のお告げに、鋤崎(川副地区)海中に観世音の海底に埋没せるを知り、これを迎えて霊地を選び、一宇の伽藍を建立せり。これ時に、慶長3年6月19日にして霊感空しからず、公の病状俄(にわ)かに改りければ、同所を大悲山楊柳寺と命名せりと傳ふ。 以来公の信仰益々篤く、元和4年(1618)6月3日公の没後、勝茂公の宰領となり、信仰愈々篤きを加え祭祀の俸禄、堂宇の建築修營等の規定を設けられ、毎年例祭を執行さる。 また、鍋島家歴代の精霊祭を厳修すること爾来勤續今日に至れり。しかるに明治維新の改革(廃藩置県)に際し、藩主の待遇中絶され、時勢漸次(ぜんじ)衰退(すいたい)し、明治27年頃は堂宇全く廃れてただ寺院の形骸を留むるのみ。 しかるに15世住職早崎徳仙師は由緒歴然たる楊柳寺の衰退を嘆じ、憤然として起ち、その復興に専念努力すること多年に及びて、近時漸く山門の隆昌を見るに至れり。 ちなみに、開山は「葉隠」の傑僧湛然梁重大和尚(高傳寺11代住職)にして、山本常朝も膝下にて得道、仏道を修行す。近くは、陶芸家只一人の芸術院会員故青木龍山師は、若き日、徳仙和尚の導きにて今日在るを忘れずとて10年毎に来山し、過日大本山永平寺の法堂に、道元禅師750年(平成14年)の御遠忌に当り天目の大香爐を寄進し、若き日の報恩の一端に酬いし旨地元紙に報ぜらる。
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福寿庵
【山号】曹洞宗丸目福寿庵 【本尊】十一面観世音菩薩 【開基及び開山】不詳
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真乗寺
【山号】真宗紫石山真乗寺 【開山】親鸞上人 【開基】盛宥師 【本尊】阿弥陀如来 【由緒】開基盛宥師、寛文12年(1672)元相応に一宇を建立して二諦の妙教を伝え第4世恵林の時にあたり故あって、現在の地に移転した、時元禄12年(1699)である。
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祐正寺
【開基】祐円和尚(古川孫ェ門入道)慶長14年(1609)卯月29日生 【本尊】阿弥陀如来 【由緒】開基祐円和尚は、後陽成天皇の御宇、永正15年(1587)戊寅2月15日誕生。その祖は菅原右大臣の家臣古川氏の孫裔俗中飯盛の住人古川孫左ェ門西本願寺一派に帰依し、家は嫡子孫右ェ門に譲り出家す。しかして正親町天皇の御代天正元年(1573)55歳にして祐正精舎を建すとある。 要津山祐正寺は天正14年(1586)上飯盛村下分、現在の東与賀町中飯盛の地に古川孫左衛門尉法躰祐円法師の創建と言う。 それより100年を経て第4世宗信教師の延宝8年(1680)当舎を現在地の西与賀町元相応に移し、弥陀の本誓を開信する道場たることをここに法燈400年なりとある。 現在の建物は昭和4年に建立され、その後昭和43年に大改修されそのおり山門より棟札が発見され次のような銘が記入されていた。 ○寛延己巳貮季 大工石田右衛門尉 奉建立御堂宇現住桂秀小工数人 鑑治○賀伊左衛門惣棟 山門を入って右側に祐円和尚の墓がある。自然石を尖頭形にくりぬき高さ95cmで底部はいけ込みとなっている。墓碑の前面に次の銘が記されている。 慶長14巳酉 祐正教寺開基釋祐圓廟 また本堂中央の前面に縦70cm、横1mの額に親鸞上人の絵が描かれている。この絵は越後の国(現在の新潟県)居多ヶ浜へ御上陸のお姿を描いた貴重な絵である。これは広島県出身で、東光会会員の武永槙雄画伯の作とされ近年当寺に寄進された。
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泊舟院
【山号】曹洞禅宗海雲山泊舟院 【開山】慶長3年戊戌(1598)8月1日 龍泰3世当院建立 【本尊】観世音菩薩、達摩大現、文珠菩薩 【開基、由緒】不詳
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長勝寺
【山号】曹洞宗禅宗天性山長勝寺 【開山】相憐和尚 明治5年頃といわれている。2世中興改禅和尚 【開基】天室妙性大姉、天正11年癸未(1583)11月12日 【本尊】観世音菩薩 【由緒】開基は鍋島平右衛門藤原清久公御姪嫁
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香月寺
【山号】真宗天桂山香月庵 【開基】亮誘法師 宝暦8年(1758)6月 【本尊】阿弥陀如来
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海蔵寺
【山号】曹洞宗福聚山海蔵寺 【開山】一翁○賢大和尚、天正7己卯歳(1579) 【開基】江口三郎右衛門、正徳5乙未(1715) 【本尊】観世音菩薩
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円光院
【山号】曹洞宗大宝山円光院 【開山】活山詔撮 【開基】不詳 【本尊】千手観世音菩薩 【由緒】元和3年丁巳(1617)地方の人民、柱巌明幢和尚の徳に化せられて一宇を建立した。
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宗眼寺
西名にあり蓮池旧藩主累代の菩提所である。元、雨降山潜龍寺と称していたが寛文9年(1669)3月5日、初代藩主鍋島直澄公が塩田で没し、その遺骨を潜龍寺に葬る。この時正覚山宗眼寺と改称し今日に至る。曹洞宗。
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浄国寺
本町にあり。開山は團譽上人といい、元来法相宗の寺だったものを藩主直澄公の請により浄土宗に改宗して蓮池山古今院浄国寺と改称した。
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福正寺
城原町にあり真宗、天正2年(1574)に創立され当初甲斐山と言っていたが藩主甲斐守に憚って芙蓉山と改めた。開基宗運。
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真教寺
神埼町にあり明暦2年(1656)鍋島直澄、僧雲山を召し当寺を建立して住持とした。真宗。
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西方寺
蒲田津にあり慶長2年(1597)真宗西派の末寺として建立され流水山と号す。開基僧憶念。
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浄台寺
蒲田津にあり宝亀山(※)と号す。真宗西派末寺で元和2年(1616)創立。開基僧真教。 ※正しくは宝龍山
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正念寺
小松にあり真宗西派の末寺で寛文5年(1665)僧宗玄の開基で帰命山と号す。
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法雷寺
堂地にあり宗眼寺の末寺、宝暦8年(1758)建立、開基周悦和尚。
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盛林寺
見島にあり曹洞宗、佐賀市大和町玉林寺の末寺、玉林寺照山和尚開基。
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大覚寺(浄土宗)
門前町の中ほどにある大覚寺には、佐賀市の重要文化財である、法然上人の「末代念仏授手印(まつだいねんぶつじゅしゅいん)」と、1606年(慶長11年)天王寺絵師・宅間法眼筆の「山越しの阿弥陀如来像」の見事な仏画があります。 この寺には、幕末の勤皇の志士、中野方蔵、佐賀戦争で活躍した木原隆忠の墓があります。
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蓮生寺(浄土真宗)
1597年(慶長2年)で開基は釈行善(高木宗太夫)。 宗太夫は大和町尼寺の出身で、高木肥前守と称して、鍋島藩の重臣であったとも伝わっています。ここは佐賀の鎧師であった宮田貞俊一門の墓碑があります。
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大運寺(浄土宗)
1610年(慶長15年)寂譽無人上人(じゃくよ)が岸川町に建立した浄土宗のお寺です。
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本願院(真言宗)
全国の大名の菩提寺が高野山にありますが、その中の鍋島坊本願院の肥前における別院として、明治の初めごろできたということです。 春、秋の彼岸には小城、佐賀、神埼、三養基を四国に見立てて88ヶ所巡りが行われますが、そのときは、肥前宗務支所となります。本堂は方(宝)形造りになっています。
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妙覚寺(日蓮宗)
正式には竹原山妙覚寺といいます。1424年(応永31年)に日蓮上人の弟子「日親」が開山した寺院です。 日親は17歳で小城の松尾山光勝寺(九州探題(たんだい)千葉胤貞(たねさだ)建立、現日蓮宗九州総本山)の貫主となりましたが、小城の竹原にも説教所を設け、それが後の妙覚寺となります。さらに1791年(寛政3年)佐賀の伊勢町に堂宇(どうう)を移されました。 日親は、間もなく鎌倉に戻り、将軍足利義政から念仏宗への転派を強制されましたが、聞き入れなかったため迫害されました。同寺には日親の分骨もあります。
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真覚寺(浄土真宗)
真覚寺は、純粋社(じゅんすいしゃ)塾跡と隣り合わせにあります。山門軒下に「刀匠初代肥前国忠吉(ひぜんのくにただよし)公之墓」と記した市指定史跡碑が立っています。名刀でうならせた肥前刀忠吉の2代から9代までの墓は八戸2丁目の長安寺にありますが、初代忠吉の墓のみがこの寺にあります。 また、この寺入口にある鐘楼(しょうろう)は、佐賀市の重要文化財に指定されています。
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天徳寺(臨済宗南禅寺派)
天徳寺は、北面天満宮の御本地十一面観世音菩薩、不動明王、毘沙門天の三尊像を祀るために建立されたお寺です。北面天満宮と同じころ、蛎久より移されたもので、佐賀のわらべ歌にも歌われた古寺です。 墓地には、幕末シーボルトについて学んだ佐賀藩蘭学者大庭雪斎の墓があります。雪斎は弘道館の教導をし、多くの蘭学書を訳し、1873年(明治6年)69歳で没しました。
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妙安寺(曹洞宗)
鍋島の初代藩主勝茂は、龍造寺胤栄の遺子「妙安尼」の数奇な身の上に同情し、五千坪の土地を寄進して妙安寺を建立しました。創立年代は、はっきりしませんが、1600年(慶長5年)前後であろうといわれています。 1871年(明治4年)鍋島直大が、各地にある龍造寺、鍋島関係の墓を菩提寺の高伝寺に移しましたが、そのとき「妙安尼」の墓も移されました。
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泰長院(臨済宗南禅寺派)
1536年(天文5年)龍造寺胤久によって建立されました。三代住職の是琢は、鍋島直茂に従って朝鮮の役に従軍し、武運の祈祷や朝鮮との文書による通訳の事務を担当しました。 現在、龍造寺隆信や鍋島直茂・勝茂らの書状、文禄・慶長の役における朝鮮側諸将から鍋島直茂への書状など県重要文化財12巻105通の文書が残っています。 この他、朝鮮の役、在陣中の是琢の日記も貴重な資料として残っています。また、ここに反射炉の築造で有名な杉谷雍助の墓もあります。
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水月寺(曹洞宗)
慶長年間、鍋島直茂が坐禅堂として建立した寺院です。開山は、龍泰寺四代の天雪珠光和尚です。 境内には、『葉隠』の口述者、山本常朝の師である石田一鼎の墓や、司馬江漢などと交友の厚かった、山領梅山の墓もあります。 水月寺は、石田家累代の菩提寺ですが、一鼎は晩年、佐賀市大和町梅野字下田で暮らし、没したので、この地に埋葬され、遺髪を水月寺に葬ったものと思われます。
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善定寺(浄土真宗)
1584年(天正12年)肥後阿蘇神社宮司、木山祐憲(ゆうけん)が島原の合戦で戦死した龍造寺隆信の菩堤を弔うために建立したお寺です。幕末、吉田松陰を動かした僧、「月性」は、同寺第八世の「不及」に深く帰依していたことで有名です。 ここには、1867年(慶応3年)、パリの万博を観覧しに行った、野中古水の記念碑があります。