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木起こし地蔵の物語
上飯盛の常照院の東に正里から中野實翁生誕地へ通ずる道路寄りに、大きな楠が空をついている。その根本に「木起こし地蔵さん」が小屋に鎮座されている。 この物語は天保年間(1830〜1843)頃のある日のこと。恐しく強い台風が吹いて、地蔵さんの傍らの大楠が、東の道路に倒れそうで、南は有明海の海岸で、北は本庄村正里へ通じる重要道路で上飯盛住民一同集まり、長老を中心に話し合ったが、あまりに楠が大きすぎて、処置に困って、夜を迎え住民は寝入ってしまった。 ところがその晩、夜どおし「ヨイサー、ヨイサー」と東の方向より掛声が聞こえ、朝を迎えた。住民は集まって、「昨夜の掛声はナンジャッタローカ」と話しながら東を見ると、アーラ不思議ヤー、あの大きな楠が立派にたち上り、空をついていた。住民は、チョコンと坐した根本の地蔵さんを見て、これはこの地蔵さんが一晩中かかって起してくれたと感謝して、本堂を造り「木起し地蔵さん」と言って今日まで祭りを続けてきている。
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巨勢大明神のお告げ
永禄9年、豊後国の大友入道宗麟が大軍を起こし、佐賀に攻め寄せた。元亀元年再び大軍を進め、その勇壮な進撃には佐嘉城はちょうど風前の燈のようであった。この戦いに鍋島信生公は命をかけられ長刀を揮い、巨勢大明神を拝し祈願をこめられると不思議にも快勝した。 その日、すなわち4月22日巨勢の宮に野営されたが、その事がただちに敵方に知れ、敵は夜討ちを企てようと忍びを入れた。ところが敵の眼には巨勢大明神のお加護で「佐嘉城より高尾口まで松明幾千万本とも知れず、その間を城兵はぐんぐんと繰り出している」のが見えたので夜討ちをついに中止した。実は佐嘉城からは一人の援兵もなく、また屯兵は昼の疲れで宵には厳重な用心にもかかわらず、みな具足を枕に寝てしまっていたらしい。 ついで、8月18日夜深更龍造寺隆信公が巨勢大明神の前を通過されると「敵は北山にあり、夜討ちして利あるべし」と、お告げがあった。その通りにしたら敵の総大将八郎親貞は討たれ、さしもの強敵旭日昇天の豊後勢も完全に潰滅してしまった。巨勢大明神のご利生に人みな驚くばかりであった(『肥陽古跡記』『神社調』巻末記載)。