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天満宮
【祭神】菅原道真公 【儀祭】8月1日、大祭と小祭は、10月17日と11月25日 【社殿】石造の祠である 【墳内地】350.41㎡ 【由緒】 船津八幡宮より分祀されたとの風説がある。鳥居には明治26年改築したと明記されてある。
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末代念仏授手印
重要文化財
略して「授手印」ともいう。浄土宗の開祖法然上人(源空)相伝の念仏往生の正義を明記し、手印をもってこれを記したものである。法然上人の死後、その教義について、徒弟の間に異なった多くの解釈が行われたので、これを統一するため、高弟の一人弁長(又弁阿、聖光房鎮西上人)が法然の教義を選述し自ら手印を押したので、これを授手印というのである。 弁長の書いたものを、更に書写したのが8巻であったと伝えられるが、現存するものは次の5巻である。 肥後 往生院所蔵 聖護本 佐賀 大覚寺所蔵 唯称本 博多 善導寺所蔵 円阿本 筑後 善導寺所蔵 極楽寺本 京都 清浄院所蔵 善弁本(断簡) この中に大覚寺所蔵のものもあるわけで、唯称本というのは、唯称という人によって伝えられた意味である。一説には唯称が書写したともいう。巻尾に朱の両掌が押されている。なお、貞和(北朝)2年(1346)6月全寂、文政3年(1820)4月豊怐の後記がある。 伝来は明らかではないが、大覚寺開山が持ってきたのではないかとも考えられるが、ともかく浄土宗にとっては貴重な存在であることは、大正15年(1926)9月1日宗宝に指定されていることでも明らかである。 授手印を遺した弁長は、筑前遠賀郡香月の生まれ。承安5年(1175)14歳で仏門に入り、36歳の時法然上人に侍して浄土門の秘奥を伝承。師の死後安貞2年(1228)10月、九州に下り肥後白川往生院に住して、この記述をなしとげた。入寂は暦仁元年(1238)3月29日。ときに77歳。 大覚寺の創建は慶長11年(1606)。開山天誉上人は、もと肥前の多久長信が大旦那となって現在の境地を喜捨し、神野の極楽寺を移した形で建てられた。寺号は勅によって大覚寺と改め今日に至っている。