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古賀観音堂
【本尊】如意輪観音菩薩 今より150年余り前、佐賀藩政時代に藩主が家臣の武士に賜わったものを、古賀区の武家屋敷であった現在地に小堂宇を建立して安置したのが起源であると伝えられている。 佐賀城東南部に住む武士達は、この観音に帰依するもの多く、即ち心のよりどころを得て、仏徳を喜び、観音講を組織して維持運営に努めた。ところが大正末期の台風で、お堂が倒れたため、御本尊の観音菩薩像を、八田の大応寺に預け数年を経過したが、観音菩薩の熱心な信者の方の夢枕に立たれた観音様が三夜に亘り、元の古賀に帰りたいというおつげがあったということで、それではと地区では昭和6年10月頃より費用を拠出し堂宇を再建し、観音菩薩を大応寺より迎え安置して今日に到っている。今でも地区では宗教法人の組織により運営されていて、地区民の信仰も厚く地区外よりの参詣も多く、広く古賀のお観音さんとして知られている。
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与賀神社三の鳥居及び石橋 二基
重要文化財
与賀神社三の鳥居は慶長8年(1603)佐賀藩祖鍋島直茂の北方藤女(陽泰院)の奉献になるもので、高さ3.90メートル、笠木の長さ5.65メートルである。肥前鳥居は、室町時代の末期ごろに肥前国を中心として造立された石造文化の一つで、江戸時代初期に最盛期を迎えている。 その形式は、笠木と島木が一体化し、先端は流線形を呈しており、笠木・貫・柱が3本継で、柱の下部は張り出して生け込みとなっているなど、特色のある構造を有している。 与賀神社の烏居は、造立の古いものの一つとして、また、最も典型的なものの一例として価値が高いものである。 石橋1基は、長さ10.5メートル、幅3.15メートル、川床までの高さは中央部で1.78メートルで、両側に高さ56センチメートルの欄干があり、10個の擬宝珠がついている。ゆるい曲線をもつ反り橋で橋脚は3本併立の6列である。擬宝珠の銅板に 肥前州与賀荘 正一位与止日女大明神 …… 慶長十一年丙午南呂彼岸日 鍋島加賀守豊臣朝臣直茂造立之 の線刻銘があり、江戸時代初期の石橋として県内で唯一のものである。