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日天橋
思案橋の南に架かる橋で、この橋を東に直進すれば旧東佐賀駅に至る道である。この旧東佐賀駅は、地元の熱心な誘致運動により、昭和14年9月開駅に至り、諸富方面からの通勤通学の人達で賑わった。 この橋の南には、材木町の『日天社』がある。この日天社は、材木の中から大日如来の仏像が見つかりこれを祀ったことに因んで、そう呼んだ。 地元住民はもとより、多くの人々が、火災防御の神として、日天杜を尊崇していた。藩主も災禍転除祈願のため、地料を免除していた。材木町の町名もこのことに因んで付けられたもので、日天橋も同様である。
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寒若寺と薬師如来
【宗派】曹洞宗 【山号】酒袋山 【本尊】薬師如来 寺伝では、奈良時代の高僧・行基が開山で聖武天皇の命による国家安穏の勅願所であった。奈良時代、九州各地に流行病や災害が絶えなかったので、行基は、楠1本から7躯の薬師如来像を刻み、川副七か寺に安置し、祈念した。川副庄一木七佛薬師如来である。 この内の一佛が寒若寺の本尊となっている。薬師如来を中心に、左右に日光、月光の脇侍菩薩と十二神将が配してあり、今も病苦を治すためになる薬師として川副七仏薬師参りが続いている。 参詣は、元木から初め、木の末で詣で納めとなる。参詣順番堂場は、1番:徳富・東光寺、2番:寺井・長福寺(※)、3番:崎ヶ江・法源寺、4番:米納津・東光寺、5番:南里・正定寺、6番:新郷・本願寺、7番:袋・寒若寺(本庄町袋)となっていた。 ※安龍寺のこと。『佐賀県近世史料第十編第一巻』「真言宗由緒」p254に、「当寺之儀ハ、以前ハ長福寺と相唱」とあり。