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満岳山 龍顔寺
宗派 曹洞宗 本尊 十一面観世音菩薩 由緒 元亀元年(1570)満岳武蔵守藤原宗久は、父宗茂の遺志を継ぎ、後藤貴明(武雄塚崎城主)の草庵を改築し、本寺を創建した。 墓地には龍道寺隆信の児小姓で16歳で戦死した「烈士福地子之碑」のほか初代村長江口六蔵、2代村長満岡良貴、10代村長蒲原敬一の墓がある。 境内に地蔵堂、六地蔵1対がある。 本寺は佐賀城下 八戸の龍雲寺の末寺で数回改築されているが、年代不詳。
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大覚寺井樋水路(小津江旧河道)
伊勢町の大覚寺井樋(大覚寺東南角)から導水、伊勢町、西田代、与賀町から本庄町中央部を貫流し、西与賀町丸目の本庄江河口に至る用・排水路である。佐賀市は、昭和55年(1980)大覚寺井樋水路(排水路)として指定した。町の西・南部域の灌漑用水供給と排水機能を持たせる幹線水路としての機能を果たしている。 市街地から町内に入り十五川(堀)に流れ、十五縄手橋~佐賀大学構内貫流~西頭橋南で二つに分かれ東は、蔵橋を経て本庄小学校西の浜橋に至り、灰塚方面の用水堀となっている。本流は、西に折れ、慈姑田堀から慈姑田橋(橋親柱は貝田橋となっている。)、岩崎橋、ここから南流、西川内集落内を流れ、梅林寺橋、官人橋が架かる。さらに南下、正里を過ぎ、鹿子に至るが、圃場整備で、昔の一町六反橋、石井殿橋、夫婦橋などがなくなった。鹿子から西に折れ上飯盛に入ると妙院橋、上飯盛橋、宝伝寺橋が架かる。宝伝寺橋傍に常十井樋(上飯盛制水門)が設置され、これで流域水田地帯の用排水の調節が図られている。ここまでが大覚寺井樋水路である。 これから南、東与賀を経て西与賀町元相応、丸目に達し、自然排水のドンポ(呑接尾)井樋から、本庄江河口に流している。また、ドンポ井樋傍に湛水防除の強制排水施設丸目排水機場がある。 この大覚寺井樋水路の本庄町地域以南は、小津江の旧河道と言われている。「文明14年(1428)頃、少弐政資の居館与賀館(城)付近に小津江の入江があり、商家軒を並べて喧騒なりしをとがめ、入江を西郷に移し、両岸の在家を分けて東岸の移るところを今宿、西岸の移るところを今津とした。」(『佐賀市史』第1巻)との記述からして、室町時代までは、小津江は舟運の往来に重要な役割を果たしたことが想像できる。 ※写真は佐大南入口交差点の南にある貝田橋と水路