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成富兵庫誕生地
成富兵庫茂安は、永禄3年佐賀藩士成富甲斐守信種の第二子として、鍋島村増田(益田)百石に生まれた。増田地区の東北隅嘉瀬川堤防の中腹に誕生記念碑がある。茂安は資性勇武智慮深く、17歳のとき初陣に功を立てたのを初めとし、寛永18年(1641)病没するまで75年間今山戦はじめ大小幾十度の戦に従い武勲を顕した。後半は築城(熊本、江戸、大阪、名古屋)、土木、治水、干拓、塩田に精励し、民生事業に妙技を発揮し、藩財政を豊かにし余慶を後世に残した。東は筑後川堤防から西は伊万里海岸まで、佐賀平野各地に茂安の徳をたたえる記念碑や社がある。
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観音寺
本庄小学校の南に大内旗山観音寺が建っている。本尊は行基の作と伝えられる如意輪観世音菩薩であり、宗龍寺(水ヶ江)の末寺である。 本尊は子安観音とも言い、遠くから多くの人が願かけに参り、そのとき魚や鳥獣を買い取って、命を助けて逃がしてやると、願いが成就すると言われている。 「観音寺物語」 観音寺は昔正里村にあったと伝えられる説もある。時に大宰少貳と中国の大内氏と戦を交える。(應永年間(1394〜)に始まる)龍造寺家氏公は少貳氏に従い、大内氏を討った。大内盛見(徳雄)はその頃上飯盛の飯盛城に住んでいた。 その時代に正里の西端に観音堂があり、その霊験著しく徳雄はこれを深く信仰し、仏前に旗を奉納した。よって村人はこれを大内旗観音と称した。 その後争乱は止まず無住となったが、元和年中(1615〜)に開運和尚が現在の場所に移した。 なお当寺には大内氏に関する遺物が多く、戦国争乱の状況が偲ばれたと伝えられる。