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ナキビス地蔵とアガイ地蔵
中原公民館横の広場に、赤い胸当てをつけたナキビス地蔵と呼ばれる背丈約60cmの石造仏が祀ってある。ナキビスというのは涙脆くてちょっとしたことですぐ泣き出す人のことを言う佐賀の方言である。夜泣きをする子供や泣き癖の強い子供を連れ、お菓子などを供物としてお参りするとナキビスが治ると言われている。以前は、田んぼの中に田の面より少し小高い林があって、その林の中に祀ってあった。昭和58年ほ場整備事業の時に現在の地に移され、今も手厚く祀られている。 有重の若宮社の境内に、三体のアガイ地蔵が、高さ3.5mほどの土盛りの上に祀ってある。この地蔵は高い所に上がるのが好きな地蔵といわれ、お参りする時に土塊をあげると地蔵が大変喜ぶ。そんなわけで昔から土塊を持ってお参りしていたので、土盛りがだんだん高くなって今の高さになったと言い伝えられている。昔は馬に鋤を引かせて田を耕していたので大きな土塊を簡単に手にすることが出来たのである。今は土塊をあげるものはほとんどいないが、数年おきに近辺の者で嵩上げをしている。
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正法寺所蔵大般若経 一括
重要文化財
正法寺は、佐賀平野のほぼ中央に所在する臨済宗東福寺派の古刹(こさつ)で、佐賀地方の代表的な武士の一家であった高木氏の菩提寺として鎌倉時代から室町、戦国時代にかけて有力な寺院であった。 この写経は、もと縦26.8センチメートル、横13.0センチメートルの折帖装(おりちょうそう)であったが、風水害によって重なっていた紙と紙とが密着してしまい、紙塊(しかい)となったものが多い。書き写された時代は平安末期~鎌倉初期と推定されるものから江戸時代の補写のものまでに至っている。使われている料紙(りょうし)(文書を書くのに用いる用紙のこと)は楮(こうぞ)と雁皮(がんぴ)のまぜすきを黄蘗(おうばく)で染めたものと思われる。 中は罫高(けいだか)20.3センチメートル、罫間(けいかん)1.9センチメートルの罫線に1面7行、1行17字を典型的な写経風の整った書体で書いている。 巻末の奥書きには「大般若波羅密多経巻第二百五十一 明徳五年甲戌三月一日 天叟書」や「東大寺以正蔵院本一校了」など、書写の年代の記されているものや、東大寺記録によれば建長5年(1253)ごろまで存在したという東大寺子院の正蔵寺の本によって校正されたものなど興味深い貴重なものがある。