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慈眼寺
山号 南嶽山 本尊 聖観世音菩薩 創設年代 明暦4年(1658) 開基 不詳 沿革 古く創設されたが、約150年ほど前八戸町龍雲寺の第27世より出た瑞国祥憐大和尚が実質的な本寺の開山となった。5代玄鶏の後、6代尊英が、和崎の八谷家より入寺して、前代を中興とする。 昭和20年8月の空襲で全焼したが、同22年再建された。平成19年3月本堂、庫裡とも新築し、現在に至る。
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佐賀県立佐賀農学校
JR長崎本線の多布施川鉄橋付近で、多布施川は本流と天祐寺川に分かれる。この分岐点の三角地に佐賀市内で最も閑静な高級住宅地「緑小路」がある。その昔この場所に寄宿舎をもち、広い実習農園と圃場(現在の佐賀工業高等学校敷地)をもった佐賀県立佐賀農学校があった。 この学校は文部省令に基き、明治28年3月1日佐賀県令により佐賀郡神野村大字多布施128番地に佐賀簡易農学校の名称で創設され、簡易の方法により農学と実地技能を授け、県の農事の改良進歩を図ることを目的として、対象者を県内の住民で田畑5反歩以上を所有する者およびその子弟に限定して入学させた。この学校の終業年限は2年であった。 明治31年4月1日、簡易農学校は僅か3年間で廃止され、新たにこの学校のすべてを引き継いだ佐賀県立佐賀農学校が設立された。終業年限は3年に延長され、入学定員は50名となった。 その後27年間に751名の生徒が卒業し、卒業生はそれぞれに学校創建の理念である「農は国の本なり」を旨として幅広く地域農村の模範的指導者として活躍した。 平成6年10月に同校校舎跡地に建立された同校創立100周年記念碑の碑文には、「思えば、当時の農村は、伝承的農業に甘んじる風潮があった。これを科学的に啓蒙して本県農業を飛躍的に発展させたのは本校卒業生諸賢の尽力に負うところ多しと言えます。」と刻まれている。 大正8年11月21日、佐賀県議会は学校の杵島郡白石への移転を可決、これに生徒一同が猛反対、佐賀商工会議所も反対を表明、佐賀市は公会堂で佐賀署警察官監視のもと移転反対の市民を巻き込む市民大会を開催。佐賀市議会も移転反対を可決、行政裁判に訴えている。 この移転問題では、当時の憲政党と政友会とが激しく対立し、佐賀県政を2分する政争になった。この後、この学校は大正11年11月7日に白石に移転し、戦後の学制改革により佐賀県立佐賀農業高等学校に引き継がれて今日に至っている。