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天満宮
梅田公民館の南側の境内に氏神様として、菅原道真公を祭神とする天満宮がある。新しい村作りはよい子を育てることにあることから、幼年時代からよく勉学に励み将来この村落を背負って立つ立派な人間になってくれよと祈念して、まずは天満宮を祀ったのである。この天満宮の外に境内に身代り観音を祀ってある。昭和49年7月にこの邑の3歳になる女の子が交通事故に遭って死亡したことから悲しみに耐えず遂に身代り観音の建立となったのである。 氏神としての天満宮祭は毎年10月25日、夏祭りの祗園は8月13日、観音祭は8月7日が例祭日である。例祭に必要な経費は、各家々から徴収したり寄付するのではなく、日頃普段に上がったお賽銭で賄い年間の4万円ぐらいで楽にできるとの事である。また毎日毎日のお茶・お水・御仏飯等は当番制で家廻しに用意し、次々に諸道具を送ることになっている。この村でも以前は子どもの行事として、この境内にほんげんぎょうもやったが今日では廃止している。
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佐賀の役招魂碑
明治7年佐賀戦争で戦死や処刑された江藤新平、島義勇ら216柱を弔うため明治18年に建てられたものである。明治6年司法卿当時、征韓論を唱えて下野した参議の江藤新平は佐賀に帰り、征韓党を組織した。また秋田県令島義勇も職を辞して佐賀に帰り、憂国党を組織した。ともに征韓論を強く支持し、勅許を得ようと動きまわった。一方政府は佐賀の不平士族を鎮圧するため岩村通俊を佐賀県令に任命。岩村は熊本鎮台の兵を引きつれて入城した。これに刺激された両党士族約5,000名が政府軍と相対した。2月16日戦端は開かれ攻防10日余佐賀軍は敗退した。毎年4月13日、佐賀戦争の戦死者の霊を祀って慰霊祭が行われている。