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佐賀馬鉄
明治37年2月28日に、佐賀馬鉄が創立されている。10月20日に、初めて片田江から諸富間に馬鉄が走り出し、翌年には、佐賀駅まで延長された。最初は、大崎の吉原病院付近に会社が設立され、12人乗りの客車十数台と挽馬20頭が用意された。 諸富から明治橋の間を10区に分け、1区の乗車賃は、1銭5厘であった。 佐賀駅から諸富まで2里20丁(約8.2km)を、約1時間かかって往復した。 資材は、東京馬鉄が電車と入れ替えたものを譲り受けたので、車輪が擦れてよく脱線し、その上子ども達が線路に石をのせたりしていたずらをしていた。 現在は、吉原病院の所に、佐賀馬鉄の記念碑が建てられている。
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木造大日如来坐像 一躯 附 大日如来由来記 一巻、木札 六枚
重要文化財
妙福寺は、臨済宗、東福寺派で開山は円鑑禅師の高弟の大道一以大和尚である。 本尊の大日如来は、定朝様を忠実に受け継ぐ面貌の表現や一木造りの構造からみて、制作の時期は11世紀の後半と考えられる。作風は中央の様式をよく伝えて優れており、半丈六(仏像の大きさの基準となる1丈6尺の半分)の大きさは県内の平安仏では最大で像高164センチメートルである。 また、同寺には本像にまつわる由緒が伝えられており、恵心僧都源信の作とする。伝説的要素が強いものの、本像の制作の背景に天台宗の源信に係わる信仰が係わっていた可能性をうかがわせる点、脊振山系の仏教文化を考えていく上で興味深い。像の背面には鍋島勝茂の名を記す朱銘が残っている。修理の際のものと思われるが、勝茂の信仰あるいは文化事業の一環としてとらえるべきであろう。 本像は平安文化を伝える美術品として優れているばかりでなく、肥前仏像史上でも重要な位置を占めるものと考えられる。