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成富兵庫とその恩恵2
成富兵庫の生涯をみれば、その前半は幾多の戦いに大功を立て、後半は治水事業に卓越した頭脳と妙技を発揮し、民衆の利益を図った。戦乱の際には兵馬を走らせ、国が治まれば開発事業に全力を打ち込み、文字通り寸暇もなかった。兵庫が救民済世の傑士と敬慕されるのも当然のことであるが、我々は歴史を知ると共に、過去の偉人の遺産に報恩の念を忘れてはならない。 明治44年11月15日、明治天皇が肥筑の野に行幸の折、その功を賞せられて従四位を追贈された。 成富兵庫茂安の名を町名としたこのゆかりの地に、みたまを合祀し300年の式年祭典が各地で行われた。(昭和9年) 兵庫の川西部の渕地方は、鍋島山城守の所領であったが、もともと茂安の知行3.200石の中から分地して山城守がもらったものである。
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欄干橋
松原神社の東側に『欄干茶屋』があり、藩主の休息所となっていた。また、幕府の使節などと面接する際の迎賓館としていた。光明寺の北に『本陣』があり茶屋との連絡も便利であった。この欄干茶屋に因んだ橋である。橋の北に佐賀銀行呉服町支店があった。かつては佐賀中央銀行本店で、県内2大銀行の佐賀興業銀行と昭和30年7月両銀行が合併して、佐賀銀行が創立された。