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祥雲山 圓徳寺
宗派 浄土真宗本願寺派 本尊 阿弥陀如来 由緒 弘安2年(1279)千葉頼胤が小城に下向したときに従った嘉村俊行は麻那古に住した。俊行の17世の孫嘉村新左衛門は龍造寺隆信と深い関係があったため、山内の雄神代勝利に抵抗し、和田、池原の戦いで全滅した。一族の中で辛うじて生き残った助五郎の子龍清が、真言宗から禅宗に改宗した廃寺を再興、一族の慰霊菩提のため、永禄年中(1558〜69)念仏道場として開基した。第三世淨専の代、元和9年(1623)本願寺の准如上人に請い、寺号を圓徳寺と賜わった。佐賀藩庁に提出した「一向宗由緒」には歴代住職の名が次のようにみえる。 第1世 龍清 第2世 淨専 第3世 淨徳 第4世 祐専 第5世 智悦 第6世 了清 第7世 慈性 第8世 専淳 第9世 淳性
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大聖観音菩薩と南無地蔵菩薩(光円寺内)
○ 大聖観音菩薩 (長寿・安産) ○ 南無地蔵菩薩 (昔から歯痛に霊験あらたかであると伝えられている) 天明年間(1781〜1789)の大飢饉の際、多数の餓死者を出し、その供養と子どもたちを飢えから守ろうと地区の人々(光円寺馬場)が、地蔵さんを祀り、毎年願望を込めて祭典を催してきた。 しかし、今はそれも途絶え、地蔵さんも台座を残し、御神体は光円寺内の北東の角、御堂の中に祀られている。