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愛宕寺
愛宕寺は京都竹内御門跡の末寺で天台宗の寺院です。『佐賀県近世史料第10編第1巻』の「天台宗由緒 西目門中 愛宕寺」によると、柳川御陣(慶長5年(1600年)の柳川への出兵)の際に鍋島勝茂が鍋島生三(道虎)に愛宕社へ祈願させ、勝利を得たため、愛宕社を勧請しました。慶長5年以前から愛宕寺は祈祷所として存在していた可能性もありますが、詳しいところは分かっていません。 愛宕寺となって以降の中興の祖は公雄で、正徳5年(1715)に退院し、3世の慶寛は、寛延3年(1750)に退院しています。慶寛は二御丸護摩堂開基を仰せ付けられ、御本尊の不動尊を持ち越して安置しました。その後、宝琳院(鬼丸)へ移転し、またさらにその後、東福院(背振山)へ転住を仰せ付けられたということです。 愛宕権現は、愛宕山の山岳信仰と修験道が混淆した神仏習合の神であり、イザナミを垂迹とし地蔵菩薩を本地としました。愛宕山白雲寺は勝軍地蔵(将軍地蔵)を本尊としたため、特に戦国時代においての愛宕権現は勝軍地蔵として敬まれ、武将からは戦の神として信仰を集めました。本地仏としての勝軍地蔵は、甲冑姿の地蔵菩薩が馬に乗っている像となっており、愛宕山白雲寺から勧請し、全国の愛宕社で祀られました。当神社でもこの勝軍地蔵が今も祀られています。 境内には、旭の森稲荷社、観音堂(観世音菩薩堂)や地蔵菩薩をまつったお堂、文化8年(1811年)銘の大乗妙典壹萬部塔などがあり、寺院の面影を残しています。
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石塚古墳
石塚古墳は、6世紀後半から7世にかけての古墳です。標高3mという低平地に存在する、とても珍しい古墳です。 昭和63年に発掘調査が行われ、挂甲、馬具、金銅製円形板、切子玉、管玉、小玉、須恵器などが発見されました。 出土遺物は平成8年に佐賀県の重要文化財に指定されています。