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妙見社
西寺小路南の国道208号沿いに、妙見社がある。 妙見菩薩を奉祀する祭神は国土を擁護し災を消し敵を退け、福寿を増す仏とされ、日蓮宗では特にこの妙見菩薩を信仰する。また妙見菩薩は北斗七星の本地で、北辰尊星妙見大菩薩とも称され、北極星を仏格化した諸星の王であって、一切の事物の善悪を記録する国土の守護神であるといわれている。中世においては、武将の中にも、千葉氏、山名氏、大内氏など深く妙見菩薩を崇敬した。 県内では妙見菩薩の石像は未発見といわれ、文字塔のみが知られている。 社殿内の妙見菩薩像は、信者の増田栄次郎氏が大正初期に製作したものである。 氏子の寺小路、溝口区住民の信仰厚く、昔から旅立ちには奥殿の小石をお守に持参し、旅行の安全を祈願して、また帰郷すれば小石を倍にして返し、無事に帰ったお礼をなす風習があった。 妙見社では年2回の祭りが続けられている。 1月(現在は第2日曜日)に大般若供養をなす。8月の豆祗園は子ども達の主催である。前日子ども達が区内の家々に1斗ショウケ(竹かご)を持って廻り、農家からは蚕豆(トーマメ)を、非農家からは金銭を奉加してもらい、蚕豆を煮て日暮れと共に子ども達の手から煮豆を参詣人に分けてやった。また青年団主催の浪曲等で、当日は賑わいをみせたが、今は子ども達の豆祗園のみが残っている。 ※「祗」の右側の表記は、「氏」が正しい。
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慈広寺
禅宗曹洞宗 山号 補陀山 本尊 薬師如来 開基 太田美濃守 開山 傅翁大宅和尚 沿革 当寺は清和源氏太田持資入道道灌より5代の孫である太田美濃守資元(浄泉)という人が、享禄2年(1529)一族郎党を従え、川副庄太田郷に下向し、その東部地区を領有し城を太田に築き田中城と号した。 浄泉は龍造寺剛忠に仕え川副東部の守りを固め、鎮守の森に太田六所宮を建立し、天文2年(1533)春日の玉林寺より傅翁大宅和尚を請し、開山第1世とし慈広寺を創建し、ながく香○(萊か)院とした。 創建当時より明治初年までは七堂伽藍が完備し、鍋島家累代の菩提所であったが、明治維新後武家の衰亡とともに寺門も衰え、山門、庫裡、倉庫、禅堂等売却され伽藍の規模を縮少された。 その後大正9年庫裡の再建、大正15年庫裡の増築、本堂の大修理がなされたが往時の面影を見ることはできない。 境内廟所には開基浄泉居士以下、歴代の墳墓鍋島勝茂の姉瑞光院月昌妙高大姉、納富能登守家景の家臣、天正12年(1584)3月島原の乱で戦死した勇士三十余名、鍋島茂貞の家臣寛永15年(1638)正月有馬原城の役に戦死した当家一族の墳墓等がある。 境内には樹齢約500年といわれる大蘇鉄の木がある。また、ビルマ仏ネカル尊像、太田家代々の肖像画、江戸平定出陣中のお供日誌等古文書がある。