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石造えびす坐像 一躯
重要有形民俗文化財
えびすは、大黒天とともに福神として、近世以来広く信仰されており、二十日えびすなどの民間行事が今も行われていることなど、えびす信仰が庶民生活に深く根ざしていることを物語るものであろう。 石像えびすは、一般にかつて商家が栄えた宿場町などの街路端に奉祠されていて、佐賀市内にも数多く祀られており、半跏像の外に算盤や大福帳を持ったえびすなど種々変化に富んでいる。 この西宮社のえびす像は、えびす(蛭子尊・事代主神)を祭神とする県内に数少ない神社に奉祀されている石像で、製作者は明らかでないが、江戸時代中期の享保16年(1731)という石造えびすとしては県内における古い作例のひとつである。岩座を含めて像高は63センチメートルで、左手を軽くまげて鯛をかかえて、右手も軽く前にまげて竿を執る態をなしている。竿を失しているが、像には欠失や破損部分などが少なくて、よく完構を保っており、他に例を見ない誇張性の少ない表現や均整のとれた福神の相など石造彫刻としても注目すべきものがあり、また、えびす信仰を知る民俗的な遺例としてもその価値が高いものである。
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華蔵庵跡
史跡
寛文9年(1669)、佐賀藩2代藩主鍋島光茂による円蔵院住職村了和尚の処刑に抗議して高伝寺11世湛然和尚は筑前へ出国しようとした。光茂は国内に留まるように願い、松瀬の地に隠居寺として一宇を建立し、寺地7反余(70アール)、山林4町5反(4.5ヘクタール)を附して10石を扶持し、華蔵庵と名づけて高伝寺の末寺とした。湛然和尚は晩年をこの庵で過ごした。 「葉隠」を口述した山本常朝は、華蔵庵で延宝7年(1679)4月3日に、湛燃和尚から血脈を受けた。湛然はここに足掛け12年住み、延宝8年(1680)11月10日に没した。