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石造六地蔵 一基
重要文化財
柱状の竿石の上に中台をのせ、その上に6体の地蔵菩薩像を彫った龕(がん)部を安置し、さらに宝珠(ほうじゅ)のついた笠石をのせた形式の六地蔵と通称されているものが、県内には濃密に分布している。その造立年代は室町時代後期を中心にしていて、中世末期における地蔵信仰の隆盛さをしのばせている。 荻野の六地蔵は現地表面からの総高145.5センチメートル、竿石は四角柱状の二段継ぎで、この地方通例の下張り上窄みの梯形(ていけい)でなく、上下ともほぼ同大の角柱である。中台は六角平盤で、上面には各辺に応じて皿形の窪みを彫り込んである。塔身は六躰の地蔵を仏龕式に彫出した、この地方で数少ない造形である。笠は径56センチメートルの円形で、屋根の上面には中央の宝珠の部分から放射形に剣先文様の蓮華文が浮彫りされている。竿石に次のような銘が2列に線刻されている。 藤原朝臣㊨氏國宗〇 〇〇文明十六年甲辰二月㊐ 銘により、室町時代の文明16年(1484)の造立であることが知られ、県内で現在判明している最古の造立銘を有するものとして注目される。この六地蔵は笠石が破損しているが、竿石の上下のひろがりが少なく、六角形の葉状文のある中台、六角形に区切られた龕部、蓮華文のある笠石など幾つかの特色を有し、六地蔵の初現的な構造を知る貴重な資料である。
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牛島神社の金刀比羅神
金刀比羅神は海上での交通安全、大漁満足の神として、漁師・水上関係者ら船舶関係者が特に信仰を寄せる神様である。この神は梵語(古代インドの文語)のクンピーラから出たといわれ、インドの聖なる河に棲むワニを、神格化したといわれ、水の神、海の神として信仰された。 日本に渡来して讃岐の国(香川県)琴平に祀られ、『金刀比羅』権現の本宮となって、全国の金刀比羅信仰の中心になっている。正式には『象頭山金比羅大権現』というのが正しい呼び方である。明治になって神仏混淆を禁ぜられてから、金刀比羅宮(ことひらぐう)と呼ばれるようになった。現在は、大物主命(おおものぬしのみこと)を祭神として、崇徳天皇を相殿として祀ってある。もともと農神であり水神であったため、農民の間にも信仰され、特に雨乞いの神として霊験があったといわれる。それが室町時代以降になり商業が盛んになるにつれて、海上交通、海運業が盛んになり、瀬戸内海交通の守護神のように崇められ、かつての農神、水神としての影が薄くなった。 瀬戸内海の海上交通は、現在想像する以上に盛んで政治、軍事、経済に大きな役割を演じていた。平常は鏡のように穏やかでも、一度荒天ともなれば波浪が高く突風が起きたり、たくさんの島々で潮流が複雑となり大変危険で、また海賊が出て航海の難儀は、おのずから危険をさけ守護してくれる神を信仰することになった。海上で遭難したとき、金比羅大権現の名を口に唱え、毛髪を切ったり、持物を海中に投ずれば難をまぬがれるという。また、暗夜に船の行く先がわからなくなったとき、この神を念ずると、きっと、ひとかたまりの火がぼーっと現れ、それを目あてに漕いで行けば、無事着岸できるといわれていた。金刀比羅宮が今日伊勢に劣らない程全国民の信仰を集め、一年間お参りする人は、400万にも及んでいるといわれるように繁盛したのは、江戸時代になってからで、慶安2年2月(1649)に幕府の朱印地となって、330石の地を給せられ、宝暦10年5月(1760)には勅願所と定められたりした。また、ここには四国第一の芝居小屋『金丸座』が常設されて、大坂や江戸の千両役者も出演し、西国の大名なども参勤交代の途中にここに立ち寄って芝居見物をしたともいわれ、3月、6月、10月の顔見世興業がとくに人気があった。佐賀市金立町の金刀比羅神社は、四国の金刀比羅宮分神で今から1300年程前に勧請されて、龍造寺、鍋島家の勅願神社として海上安全のほか農業殖産、医薬祖、福徳円満縁結びの神として祈願立願で庶民も合わせて心の支えとしてきた。牛島神社にも金刀比羅神が祀ってある。