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浄蔭寺
山号は天眞山といい、黄檗宗に属する。鍋島勝茂公の4男、直弘は山城守と称し、三養基郡みやき町白石の2万2千石余の城主で、室は萬夫人で佐賀藩武雄領鍋島若狭守茂綱の長女である。領地は、佐賀郡西渕の上下、今の上渕、下渕、東高木の辻あたりと平尾の四丁籠なども所在し、辻地区に館を設けていた。直弘は寛文元年(1661)7月、44歳で没したので、萬夫人は剃髪し名を法樹道人と改め、辻の館に移り黄檗宗祖、隠元禅師の曽孫、碧湖元達禅師に接し仏門に入った。天和元年(1681)6月17日享年59歳をもって示寂した。正貞院殿法樹浄蔭禅師と称したが、禅師入滅に当り、嫡男の白石2代藩主鍋島大和守直氏に遺命して館をもって寺となした。夫君直弘の法号を盛徳院殿前雍州大守天眞日玄大居士といったので、山号を天眞山とし、寺名を法樹浄蔭禅師にちなみ浄蔭寺と名づけた。 開山は碧湖禅師、開基は浄蔭禅師である。 当寺は支藩ではあるが、鍋島家の菩提寺として法燈さん然として輝き、黄檗参禅の道場として重きをなしていたが、文政11年(1828)の大風で堂宇倒壊し、直ちに再建されたものの、明治維新で廃藩となって藩よりの扶持も絶え、明治28年の大暴風雨で崩壊してしまった。後小宇を建立したが昭和28年の大風水害にあい、今は往時の盛観を見るべくもない一小堂に鍋島家ゆかりの幾多の位牌が安置されているに過ぎない。
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養父社
創建されたのは下高木の守り神としてであり、祭典は8月4日の夏祭りや12月7日の秋祭りで、高木八幡神社の神官により祝詞奏上が行われている。 昭和51年11月には、佐賀市都市計画道路の植木・東高木線の新設拡幅工事に伴い約200m西南の現在地に遷座された。 養父社、通称「おやふささん」で夏祭りの当日(8月4日)で、戦前は付随する建物で旅芸人による演芸会が、戦後は青年団による演芸会が催され、時には映写会も開かれ、娯楽の少ない時代であったために、町区民の大きな楽しみで人気があった。 しかし、昭和30年代には取りやめになっている。