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増田村(郷制以降)
(宿を含む。) 石高257石余、人口120人、家数20軒余とあり、地成(反当たり年貢米)9斗2升、佐賀本藩の直轄領であるが、佐賀郡代・川副代官の支配を受けていた。明治になって、光法村に編入された。
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華蔵庵跡
史跡
寛文9年(1669)、佐賀藩2代藩主鍋島光茂による円蔵院住職村了和尚の処刑に抗議して高伝寺11世湛然和尚は筑前へ出国しようとした。光茂は国内に留まるように願い、松瀬の地に隠居寺として一宇を建立し、寺地7反余(70アール)、山林4町5反(4.5ヘクタール)を附して10石を扶持し、華蔵庵と名づけて高伝寺の末寺とした。湛然和尚は晩年をこの庵で過ごした。 「葉隠」を口述した山本常朝は、華蔵庵で延宝7年(1679)4月3日に、湛燃和尚から血脈を受けた。湛然はここに足掛け12年住み、延宝8年(1680)11月10日に没した。