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子安神社
祭神 大山祇神 磐長姫命 保食神 源義経 安産の神 由緒 栗並地頭栗並因幡守子孫永久の大願で承久(1219〜22年)のころ勧請の由古老の口碑に伝え、神殿、拝殿ともその後の再建といわれている。 祭日 1月元旦祭、9月風祭、彼岸祭、刃の日祭、神宝 古刀1振、法螺貝 敷地面積 632坪。建物22坪。氏子 75戸 本社は社名のとおり安産の神。ここの腹帯を妊婦が腹に巻くと安産と伝える。近くにある夫婦岩は良縁のシンボルといわれている。
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有益さん
安山岩製の像高約1m50cmの袈裟を着た僧形の仏を丸彫りし、二段になった台石の上に安置してあり、見るからに豊満な大きい石仏である。衣文の彫りは浅く、胸前に指を組んだ、福々しい顔、肉つき豊かな体躯、表情に雅趣があってほのぼのとした温かさを感じさせる石仏である。 背面に預修善根仙叔明鶴今泉有益禅庵主寿位、慶長20年(1615)2月吉祥日の刻銘があり、江戸初期の作である。(中村 勲)、と載せられている。 有益さん有益さんと親まれた石の仏さんが、元々どんな人であったか、父母寺の住職であったのか、この辺のお医者さんであったのか、何れにしても多くの人々を救い、余程の善根を施した人であったために、その人を追慕するあまりに建てられたものであろう。或は子孫の人が先祖の供養のために建てたのか一切が不明であるが、前記江口氏の説によれば築山の墓守をしていた人ともいわれる。あるいは多々良、三浦両家の腹中の家臣であり、主を弔うために出家した随臣であったかも知れない。 ともかくこの人も相当の人物にちがいなかったろうと思う。 又有益さんの前には六地蔵一基が建っている。 これには 正面に 宝永八年(1711)辛卯 仲春八日 願主 徳本甚兵衛尉義休 裏面には 奉漸讀大乗妙典千部 東面には 奉建立石地蔵菩薩六尊 と刻んである。 当この築山墓地に登る石段は、大正15年(1926)多々良譲二氏が建設されたものであり、外に三浦一族で昭和15年4月4日大東亜戦で中支方面で戦死された陸軍大佐三浦増穂氏の墓もある。(嗣子は佐賀商業高校教諭 三浦光弘氏)増穂氏夫人は歌人中島哀浪氏の妹である。 当寺には、高さ約45cm直径約30cmの青銅製の寺鐘がある。