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築地反射炉跡
史跡
佐賀藩は、江戸時代初期から、福岡藩とともに、外国船に対する長崎警備を担当していた。嘉永3年(1850)頃、佐賀藩は長崎港外(外目(そとめ))の防御の重要性を幕府に建議し、外目の島々の内、佐賀藩領であった伊王島(いおうじま)と神ノ島(かみのしま)に砲台(台場)を増築することで、長崎警備の強化を行うこととした。そこに据え付ける大砲が必要となり、鉄製大砲の鋳造をするために反射炉を築造することとなった。 嘉永3年6月に「大銃製造方(だいじゅうせいぞうかた)」を設置し、築地(ついじ)の一辺に反射炉築造を始め、11月に完成をした。この初号炉で鉄の鋳造を数回試みて、翌4年(1851)4月に行った5回目の操業で、初めて鋳造に成功した。その後、2番目の炉は同年10月に完成し、3・4番目の炉も嘉永5年(1852)4月に築造が完了し、大砲の砲身をくり抜く錐鑚台(すいさんだい)やそれを動かす水車なども随時製作した。 同年6月の操業を藩主鍋島直正が見学した際には反射炉4炉を同時に稼働させ、36ポンド砲の鋳造を行っている。 築地反射炉跡は、現在、日新小学校敷地、民家等になっていて、反射炉が築造されたころの面影はない。現在までの調査では大量の鉄滓が出土したほか、木炭(燃料)や耐火煉瓦のように反射炉操業に関連する遺物と、磁器碗や下駄、火鉢類のような生活雑品が出土している。 日本で最初に反射炉で鉄製大砲を鋳造した意義は大きく、日本の近代化産業の象徴ともいうべきものである。 (写真:鍋島報效会提供)
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妙福寺
【名称(山号)】寂静山 妙福寺 【宗派】浄土真宗 本願寺 【本寺】京都府西本願寺 【創立年代】創立は寛永15年戊寅(1638)人皇第110代後光明天皇、徳川家光将軍時代に現在の佐賀市伊勢町蓮生寺の末寺として創立された。 【開基】高木宗運、蓮生寺開基の弟である。元禄6年4月13日入寂、高木鑑房の子孫で、鑑房は天文23年3月入寂。 【沿革】 御本尊は阿弥陀如来立像で、文政7年12月再興され、細工人は狩野、享和元年(1801)過去帳書き初め文政11年4月13日、14日、15日の三日にわたり、51年来珍しき大地震あり。また同年8月9日古今無双の大風ありて、家屋その他建築物の倒壊甚し。また同年8月24日晩より25日朝にかけて大風ありて、当寺の山門倒れり。弘化4年11月山門再興される。現在の本堂は昭和5年6月改築完成した。 【その他の特記事項】 安政3年12月14日、旧藩主鍋島若殿様御昼休みされたら、御拝領定銀200疋、文政5年御上に金3.000両を献金した。 【檀徒戸数】110戸(東与賀町内61戸・外に川副町等) 【備考】 山門は開基の時、元禄6年(1693)4月のもので、楠材を用い、作者は佐賀市与賀神社山門と同人という。彫刻が見事で、表面と裏面を全く異なる風物を画いている。 半鐘は享保18年(1733)第6世見佳とあり、谷口安左ェ門の銘がある。 この寺も寺子屋の跡らしく、第13世高木行順住職が師匠であった。寺内に落書きした「梵語(ぼんご)」の文字が残っている。