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[民俗・芸能][行事][諸富町]は17件登録されています。
民俗・芸能 行事 諸富町
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ゴミクイ、ゴミホイ、ホイホシ(泥土揚げ)
流れのほとんどないクリークの底には、年々、ゴミ(泥土、ヘドロ)が沈澱するから、貯水力を維持するためにも、排水性を高めるためにも、下層に堆積したゴミを取り除くことをしなければならない。 ここは採草地のない水田地帯であるから、有機質の投入がなく年々水田の地力は低下の傾向にあるが、休閑田に揚げられた泥土は乾かされ、細かに砕かれて、ブイ(竹製の泥土担い)で田に客土され、消耗される有機物の補給となって、地力を保つことになった。 この泥土揚げ作業は、農閑期の落水期に毎年行ない、2月〜4月上旬までに、5戸〜7戸共同、あるいは部落中総出の共同作業で、水につながる連帯感を育む地区の共同体的作業としての意義があった。 この泥土の利用権は慣行的に決まっており無断で浚えることは出来ない。普通、南北のクリークの場合は東側に、東西のクリークの場合は北側の田主に利用権があり、例外もなくはない。だから、クリークの付いている水田は値が良かった。 この泥土揚の作業中に副産物として、おびただしい淡水魚の鯉・鮒・鯰・鰻・烏貝など獲れたし、揚げた泥土にはタニシが多かった。 これらの収獲は慣習によって分配し、田主の家で酒食を出す。部落の幹線クリークの場合は部落中で集って慰安の酒宴があった。 このとき、ゴミクイカンジョウ(勘定)があったりする。 泥まみれの作業は辛かったが、ゴミクイジマイの酒宴は、娯楽のない農民にとって、何よりのレクレーションでもあり、クリークがもたらす蛋白源の魚類も、農民の栄養として有意義であった。
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ホンゲンギョウ
鬼火焚き・焚き始めともいう。子ども達が1月6日の夜に田の中などに竹を組み藁をかけて小屋をつくる。小杭では源内屋敷より青竹を切りだした。 7日の早朝にこれを燃やし、三重では竹の音が鳴るごとに「鬼は外、福は内」と叫んだ。歳徳さんに供えた餅を7か所で焼いて食べると息災であるという。 長男の生まれた家では、ニワナカホンゲンギョウといって庭中に恵方に向かってユルリ(炉)をこしらえて、小路の子ども達を招き、餅を焼いたりゼンザイをつくってふるまった。初息子の子ども仲間への仲間入りであった。
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御正忌さん
真宗地域では開祖親鸞の忌日にちなんで、1月9日の晩より16日まで各寺院で法会が行われる。信徒の家では鍋や釜の底まで磨きあげ生臭物をさけ精進料理で過ごした。精進あげにはイワシを食べた。
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もぐら打ち
14日の晩に子ども達が竹竿の先に藁を束ねたもぐら打ち棒を持って、各戸の庭先で円陣をつくり歌をうたいながら、その家の繁昌を祈っていっせいに地面を打つ。とくに子どもの生まれた家や新妻を迎えた家で打った。 ♪十四日のもぐら打ち ショーヨンドン ショーヨンドン 包丁借しやい 茶ァ飲みやい ヨサヤー嫁ごとって シャイコミヤイ シャイコミヤイ ♪なれなれ柿の木 ならずの柿をばなれとぞ祝う 千なれ万なれ億万なーれ 虫きいすんな 枝おれすんな あだ花咲くな よそんもんのちぎっときゃ 堀の真中なーれ うちのもんのちぎっときゃ 畑の真中なーれ 十四日のもぐら打ち
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ももて
年の初めの魔払いと年占を兼ねて鬼と書かれた的を弓で射る神事で的射(まとい)・弓射りともいった。一部廃絶した集落もあるが、加与丁・陣内−1月18日、石塚−1月19日、舟津−1月26日、徳富−1月28日、太田・大中島−2月11日に行われている。 陣内・太田・大中島では弓を射る行事は早く絶えたらしく古老の記憶にもない。現在は氏神社に各組のスブソ(元方)が集まり悪疫退散・五穀豊穣を祈願する。 弓を射る神事が残っている石塚では、旧1月19日(現在は近い日曜日)に的射といって公民館(天満宮)で行う。若宮神社と天満宮での神事の後、径1mぐらいの的(裏の中央に鬼と書く)を据え、10mほど離れた所からめいめいが的を狙って弓を射る。 小杭では弓射りが終われば、子ども達が争って鬼という文字を奪いあった。 この文字を取れば健康になるといわれた。
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甘茶とり
釈迦の誕生日といわれる旧4月8日(新5月8日)に寺院で降誕を祝して行われていた。男児は花抜きといって、シュンギク・キンセンカ・レンゲソウ・シャクヤク・松の芯などを各戸よりもらい集め花御堂をつくり誕生仏を安置する。参詣人は甘茶を頭上からそそぎ甘茶をうけて帰る。うけて帰った甘茶は、クチナワ(ヒラクチ)除けに家のまわりにまいたり、目や頭など体につけた。
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潮干がり
4月末から5月にかけての旧1日と15日を中心に数日間は潮がよく引くので有明海の沖にでかけて潮干がりをした。仲間同士が洒肴持参で芸者を連れ、太鼓三味線で賑わいながらでかけた。アサリ・シャコ・ウミタケ・タコなどがよく獲れた。農家では農作業前のひとときの休みであった。
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大般若
太田の宝光院(天台宗)では、5月13日に五穀豊穣・家内安全を祈願して大般若経(大般若披羅蜜多経)600巻の転読が行われる。天台宗・禅宗の僧7,8名が、各巻の初めと終わりの部分を声高に読誦し右から左に左から右にとめくり、参詣者は経典で肩や腰を叩いてもらい健康を願う。転読後、きとう札を集落の境に立て邪霊の侵入を防ぎ、堀に立てて子どもの水難防止を願った。
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御誕生日
真宗地域では、5月21日に開祖親鸞の誕生日を祝って、門徒中が集まってお籠りをする。諸富新村では、区長宅の角にムシロを敷き、この頃とれる夏豆(ソラ豆)や肴を持ち寄ってお籠りをしていた。
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田の神さん
稲つくりの最も大事な田植えが近づくと、丸い握り飯にメノハ(ワカメ)を巻いたタノカミサンニギイメシを作り、神酒とともに神棚に供え、馬使いさんに食べてもらい田植え加勢をうける家に配った。3杷苗をヘッチィさんに供える家もあり、この苗は盆の仏具磨きに使用した。 また、田に水を入れる荒ぐれにあたって、アラグレダゴを作ったり、苗取りや麦打ちにもダンゴやオハギを作り、加勢をうける家に配ったりした。
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施餓鬼
三重の円城寺(黄檗宗)で5月下旬に施餓鬼法要が行われる。餓鬼道に落ちて苦しむ亡者のために飲食を施すもので、もとは盆行事の一つとして8月17日に行われていた。 本堂の前に餓鬼壇をつくり、中央には浄飯をうず高く盛り、果物やマンジュウ、5色の小幡を立て、僧侶7、8名により法要が営まれる。
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さなぼり
田植えが終われば、餅やオハギを作り、田植え加勢をしてくれた所に配ったり招いたりして、田植えじまいの祝いをした。この日に3杷の苗をへッチィさんに供える所もある。
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祇園
夏になると、伝染病や風水害・病虫害などが流行りだす。これらは悪霊・怨霊のせいだと考えられた。旧暦6月に多い夏の祭りは、祇園さんと呼ばれ悪霊を鎮める祭りで、本来は牛頭天王を祀る祇園社(八坂神社)の祭りであるが、氏神社をはじめ、小路毎に祀られる観音・地蔵・恵比須・太神宮などの祇園が行われる。 氏神社の祇園では、たくさんの露店が並び夜は芝居や花火大会があり賑わった。小路毎に行われる祇園は、子ども達が中心となり豆を抜いて行うので「豆祇園」とか、提灯をたくさんさげるので「千灯籠」ともいう。 例として諸富津における祇園を見てみると、7月17日−観音さんの祇園、7月20日−恵比須さんの祇園、7月25日−天満宮の祇園、8月4日−龍王さんの祇園と各区で行われる。観音さんの祇園は、男児が観音堂の掃除、提灯の張り替え、幟の準備、豆抜きなどをする。豆抜きは農家がないので諸富新村まで出かけた。子どもの生まれた家では提灯に名前を書いて奉納した。祇園が終われば、子ども大将の家で混ぜ飯をしてシメーイワイ(終い祝い)をした。龍王さんの祇園は、子ども達がお仮屋を洗い、新若組(青年−中老ともいう)に頼んでお仮屋を建ててもらった。 氏神社で行われていた祇園は、最近廃れたが、子ども達が世話をする豆祇園は、参拝人も多く現在も各集落で行われている。
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ボンボイワッショイ・提灯あげ
盆の間、男児はボンボイ(ボンボリ)、女児はフーズキ提灯を持って行列をつくり「ボンボイワッショイ」の掛声をかけながら集落をまわる(女児は「提灯トロトロ」という)。ボンボイは1mぐらいの青竹を四つに割って枠とし回りに紙をはり、中にローソクを付けたもので、もとは2mぐらいの大きなものもあり、表に武者人形の絵を描き、火を入れるところは火の用心と書いていた。 昭和30年代ぐらいまでは為重・寺井津の各集落で行われていたが、現在は石塚・東搦で行われているにすぎない。 寺井津の各集落では、提灯あげといって恵比須さんなどの前に豆提灯をたくさん並べて子ども達が火のつけかえをする。
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ザル市
旧8月12日に諸富津一帯に、ザルや陶器、農具などの市が並び、大荒籠ではサーカスや見せ物小屋も立ち大変な賑わいを見せた 農民の豊作を願う潮くみ行事にちなんで行われるもので、北茂安町・三根町・千代田町などの各地から諸富へ、たくさんの人々が集まるのを目当てに行われたものといわれる。 ザル市の名の通り、川久保ソーケ(旧佐賀市)や義経ソーケ(福岡県八女市)などの竹細工品が中心であった。
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おくんち
氏神社の秋祭りを、おくんち(お宮日、お供日、お九日)というが、これは9日9日の重陽を尊んでいったもので9日、19日、29日を中心として行われる。新暦になって1月遅れの10月に行うようになり、新北神社−19日、太田神社−19日、大堂神社−29日であった(現在は当番集落により未定)。 神輿のおくだり、おのぼりに獅子舞いや浮立がお供をし映画や演芸もあって賑わった。家庭では赤飯・鮒の昆布巻などのくんち料理で親戚や知人を招いた。 また、おくんちは衣がえの目安でもあった。
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亥の子の餅
旧暦10月の亥の日にボタ餅をつくって収穫を祝う。 大堂神社では、10月13日に芋の子祭りともいって子孫繁昌と豊作を祈願して祭りをする。