ゴミクイ、ゴミホイ、ホイホシ(泥土揚げ)

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ゴミクイ、ゴミホイ、ホイホシ(泥土揚げ)

■所在地佐賀市諸富町
■登録ID1565

流れのほとんどないクリークの底には、年々、ゴミ(泥土、ヘドロ)が沈澱するから、貯水力を維持するためにも、排水性を高めるためにも、下層に堆積したゴミを取り除くことをしなければならない。
ここは採草地のない水田地帯であるから、有機質の投入がなく年々水田の地力は低下の傾向にあるが、休閑田に揚げられた泥土は乾かされ、細かに砕かれて、ブイ(竹製の泥土担い)で田に客土され、消耗される有機物の補給となって、地力を保つことになった。
この泥土揚げ作業は、農閑期の落水期に毎年行ない、2月〜4月上旬までに、5戸〜7戸共同、あるいは部落中総出の共同作業で、水につながる連帯感を育む地区の共同体的作業としての意義があった。
この泥土の利用権は慣行的に決まっており無断で浚えることは出来ない。普通、南北のクリークの場合は東側に、東西のクリークの場合は北側の田主に利用権があり、例外もなくはない。だから、クリークの付いている水田は値が良かった。
この泥土揚の作業中に副産物として、おびただしい淡水魚の鯉・鮒・鯰・鰻・烏貝など獲れたし、揚げた泥土にはタニシが多かった。
これらの収獲は慣習によって分配し、田主の家で酒食を出す。部落の幹線クリークの場合は部落中で集って慰安の酒宴があった。
このとき、ゴミクイカンジョウ(勘定)があったりする。
泥まみれの作業は辛かったが、ゴミクイジマイの酒宴は、娯楽のない農民にとって、何よりのレクレーションでもあり、クリークがもたらす蛋白源の魚類も、農民の栄養として有意義であった。

出典:諸富町史P.1023