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[民俗・芸能][祭り][開成校区]は6件登録されています。
民俗・芸能 祭り 開成校区
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道祖神祭
3月・12月の第2日曜日に、江頭地区の東土井・荒巻では年2回、各家順番で神社参拝後、当番の家でお祭りをする。
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権現祭
江頭地区西八田では12月25日に3つの地蔵さん祭りがあり、藁で的を作って弓を射る行事があっていたが、現在は行われていない。
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村祭り
むらまつりは、旧新村(開成2〜6丁目)には二つ有って、一つは供日といって藩政時代の新庄郷の氏神さんの新庄神社のお祭りで、11月3日に行われる。 旧新村の祭りとは新村の権現さんの祭りで、新村独自のもので、新村の起源頃から始められていたように思われる。 藩政時代は戸数も少なく、12月15日に新村の住民全部が1箇所に集まり行われていた。 この祭りの実施要領は大正時代は、祭り田と言われる水田を輪番に耕作して其の収入で、本ツーゥ寄りツーゥの名前の2戸で実施されていた。しかし、昭和になり戸数が増えて1ヶ所では対応が出来なくなったので、南組が堤熊次氏の土地を購入して祭田とし、沖田組には中島猪六氏が自分の所有の土地を弁財天祭を行うという条件で寄付し、昭和50年頃までは組毎に当番の人が祭田を耕作してその収益で祭りを実施していた。祭り田が住宅供給公社の宅地造成地区内に在ったので、売却して其の売却代金を基金として12月15日に実施して居たが、近年は村民も勤め人が多くなり、現在は、12月15日に近い日曜日に実施されている。 当時は竹輪1本に肴の切り身1切れの質素な料理であったが本当に楽しいお祭であった。 その後、祭りの伝統を北組(きたんわい)が引き継ぎ「ツウ」と言う伝統の記録書類で現在も記録されている。 その書類が煤け、破損が酷かったので整理した際、はっきりした記録が判明し、嘉永年間(1854〜1860)の頃からの記述があり、この村祭りが大分古くから行われていたことが分かる。 1年を通じて権現さんを中心に色々と村民の触れ合いの行事が行なわれており、今振り返って見ると懐かしさが一杯である。
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西佐賀団地の夏祭り
西佐賀団地で育った子ども達が成長し大人になり家庭を持ったときに、「自分達は西佐賀団地で育ったが、緑も多い団地で大人たちも仲がよく、団地内で祭りを行なったり神輿を担いだりしたことは、楽しい思い出である。」と言ってくれるように、昭和60年から実施して、平成21年で24回を数えている。その間、祭りを中止しようとの意見も出たが、それを乗り越え、子ども達が西佐賀団地の夏祭りを楽しみにしているため、平成22年以降は子ども達だけの祭りに切り替え継続して開催して、今後とも西佐賀団地内の融和をはかって行きたい。
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江頭ふるさと祭り
平成元年10月に若宮社に祀ってあった石祠蔵を現在の江頭公民分館の敷地に移し、木製の鳥居や御堂を建立して、仁徳天皇三女神をお祀りしている。 毎年8月上旬に子ども達の病気平癒、健康を祈って祈願祭を行い、午前中に「子ども神輿」が町内を練り歩くため、力水をかけ元気づけ、楽しんでいる。 神輿は、江頭公民分館 ⇒ 西八田(若宮社) ⇒ 東土井(道祖神社) ⇒ 大西(観音) ⇒ 大渡 (観音)⇒ 江頭公民分館 の順路で練り歩く。 夜は、生産組合、婦人部、子ども会でバザーの出店や、舞台を飾りつけカラオケ大会や踊りのご披露などがあり、商品を用意して江頭ふるさと祭りを実施していた。 しかし、平成5年8月からは、「開成ふるさと祭り」が開催されるようになり、「江頭ふるさと祭り」を午前中に行い、午後4時頃から「開成ふるさと祭り」に参加している。 祭りは、町区民や校区民にとって、親睦融和をはかる上で欠かすことができない重要な行事として、現在も開催している。
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子ども祭り
子ども祭りは、開成5自治会(開成二〜六丁目)の地区内で、新村川沿いに、地蔵さん2ヶ所、弁財天さん、権現神社、観音さんの5つが祀られている。 平成元年までは、旧新村子ども会の豆祇園として、毎年8月1日に2台の神輿が町内をねり歩き、夜は子ども達による豆祇園が実施されていた。 その後、平成2年住居表示が実施され、旧新村地区は5町区に分割されたため、どのように継承するべきか、自治会・子ども会で話し合いを行い、子ども会主催による5町区(開成二丁目〜六丁目)それぞれで、昼は「神輿」、夜は「豆祇園」として現在も継続をしている。