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[民俗・芸能][祭り][富士町]は8件登録されています。
民俗・芸能 祭り 富士町
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ベンジャさん祭り
五月巳の日にベンジャ(弁財天)さんの祭りを行う。巳の日が3回あるときは中の巳の日、2回のときは最初の巳の日に行う。ベンジャさんの祠で神事の後、持ち寄った肴で飲食をする。奉納相撲を子どもや青年がする。ベンジャさんは水の神であることから農作業が始まる前に行う。
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祇園さん
祇園というのは本来、八坂神社、須賀神社の夏祭りであるが、他の神社の夏祭りも含めて広い意味で使われている。天満宮の祇園、お稲荷さんの祇園など。 杉山の八坂神社では7月29日に行われる。青年たちは前日から準備をする。参道に旗をたて、神殿にお神酒、白米、玄米、餅、野菜五種、昆布、果物5種、菓子などを供える。神主により午前中に祈願祭が行われる。他の集落や七山、浜玉方面からも多くの参拝者が訪れる。素戔鳴尊(すさのおのみこと)や牛頭天王(ごずてんのう)の守り札が配付される。 小城の須賀神社に代表者または各戸より1名が参拝する集落もある。
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十七夜
上無津呂の淀姫神社の夏祭りで8月17日に行う。芝居などの余興が行われる。青年の主催であったが、現在は消防団が世話をしている。
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十八夜
中原の観音さんの祭りは8月18日に行う。大正13年に電気が引かれるまで山笠を曳いていた。十八夜が近づくと青年たちは青年クラブで山囃子の練習をした。山笠の高さは25mほどで、浜崎から人形師がきて作っていた。夕方から青年が主体で山笠を曳いていた。大正13年に祭りを中止したとき、大火があり祭りは再開したが、山笠は廃絶した。
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八朔祭り
旧暦8月1日(新9月1日)を八朔といって稲の実りを祈願する行事と贈り物をする行事が行われていた。合瀬では春日神社で八朔祭りが行われる。もとは青年団で役者を呼んで芝居をしていた。家庭では、八朔だごをつくり供えていた。大野の春日神社ではとうろうつけがおこなわれる。合瀬・関屋では、二度目のひな節句といい、男児のいる家には短冊や色紙を女児の家にはひな人形を贈る習慣があった。
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ウーマツイ
12月にはいると、各集落では収穫も終わり1年間無事に過ごせたということで、子どもから年寄りまで村中総出のウーマツイ(大祭り)が行われる。料理にダイコンを主に使うことからジャーコンマツイ(大根祭り)というが、赤飯や混ぜ飯に無塩のイワシのご馳走がでる。数日に渡って行われ、祭り当番を引き継ぐ、通渡しの儀式も行われる。 湯の原 12月25日に天満宮の祭りが行われる。現在は湯の原全体で行うが、以前は古賀単位で行っていた。「イワシの頭もう焼けた。セッカン(赤飯)きいに(食べに)きてくんしゃい」と振れていた。 栗並 馬場古賀では12月16日より3日間にわたり七郎さんの大祭りをする。大根が主となる料理をつくり1日中飲食をしていた。大根包丁という来年の豊作を占う儀式がある。指名された人が茶碗いっぱいのドブロクを飲み、2本の大根の皮をむき、それぞれ3つと5つ、5つと7つの角切り大根をつくり、お謡に合わせて上にあげてひっくり返し大根を受けとめる。多く受けとめれば豊作という。
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湯の町の薬師さん祭り
新暦8月20日夕方古湯温泉センター(英龍泉)の薬師堂で、新暦8月22日夕方鶴霊泉の薬師堂で、ここには江戸時代古湯を再興した稲口三右衛門の石像も祀られている。
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上無津呂の祭り
正親町天皇の永禄4年(1561)、戦国武将神代勝利公長男父子兵を率いて川上に陣し、龍造寺氏と戦い、敗れてこの地に走り来て救いを求めた。社人嘉村大和守舎種が神代父子を社内に匿し俄に村人を集めて大祭の熊をして神楽を奏して居た。追兵が来て探索したが見付ける事が出来ず怒って火を放ったので社務所と文書等はその時に焼失したが社殿には及ばないで神代父子は無事に難をのがれる事が出来た。追兵が退いて後、神恩の大である事を謝して即座に佩刀二振を奉った。その時のお祭りが今なお続けられている。毎年8月17日夜に余興が取り行われ、以前は青年男女が自作自演の芝居や舞踊をしていたが、今ではプロの芸人を雇って続けている。尚当神社の秋季大祭も10月7日に行われ、この大祭は礼儀作法を取り入れた厳格な祭として知られている。神社のお供物も12、3品目供え宮総代、区長他代表が玉串を受ける。一般の参拝者は外からお参りする。約1時間余りで終わるのでその御拝殿の中で児童生徒達が神楽を奉納する。この神楽も長い間とだえていたが7、8年前から復活し続けられている。後は酒宴の座に向う。亭主前は落合い、相尾、上浦、宇土、刄金、神楽谷の順で行われている。当番の古賀は3、4軒の座を用意し、本座、特別座、次座とし本座の客は宮代、神官、区長となっている。特別座は神社に寄付した者、次座は一般の客、尚一軒の家には5、6人でまかない、見張人、相伴人、酒をつぐ人と役付けされる。お客が席に着いた所で相伴人が挨拶を終ったところで、客の人数がわかっていても何名であるかを聞きその人数だけのお酒を客の前に出し、相伴人持分のお酒を出し一緒にしていただく様お願いした上で、「おかん」を付けたが良いが、冷酒のままで良いかを問い質し、どちらか決まった上で両親を待つ子供「男女」が床柱に向かって左右にお酒をつぎまわす。それが済めば愈々酒宴がはじめられる。その間を見て区長が各座へ挨拶回りのため席をはずす。次に本座の主人も挨拶回り、お膳の品は7品目いずれも寸法が決められお頭付き魚は1尺以上である。規則を破ればことわり酒がいる。他に見られない厳格な祭りである。しかし最近では人手不足もあって本座だけを個人の家で行い、ほかの座は公民館で一緒に行うよう改正されている。