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[建造物][橋・井樋等][嘉瀬校区]は15件登録されています。
建造物 橋・井樋等 嘉瀬校区
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人築(一月)井樋
嘉瀬の水の要所 ワラで人柱をつくり、徳善院で祈祷したところ、壊れなくなった。
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昔の嘉瀬橋の急勾配
液体燃料が軍部中心になり、一般生活から姿を消した。バスにもその影響は現れ、車体の後に大きな蒸気発生器を装着し、木材を燃やしたり、木炭をくべたりして走っていた。勿論、力が弱く、スピードもダウン。嘉瀬橋が木造りで、橋への道が急勾配で、今の2倍位はあった。バスに乗っているお客さんに、バスの車掌さんが「バスが坂を登りきれません。お客さん降りて下さい」。下車した客は、バスの後押しをしてやっと登りきった。客で文句を言う人はなく、手の汚れを叩き、ふたたび乗客になる。また、人が引っぱる車力に荷を沢山積んでいる人は、この嘉瀬橋は登りきらん。その時、出番と後押しをし、手間賃とって稼いでいた人もいた。これらのことは終戦前までのことである。今は、嘉瀬川の川幅も倍以上になり、橋の長さもずっと伸び、鉄橋化され、難渋した時の面影はなくなった。
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嘉瀬川鉄橋
最初の鉄橋は明治28年5月5日に竣工。その後昭和38年3月に架け替えられた。昭和41年6月複線化に伴い、上り線用に新しい鉄橋(長さ253m)を架設し、従来の鉄橋(249m)を下り線用とした。昭和51年7月1日に全線が電化されて現在に至っている。
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嘉瀬橋
古くは元禄4年(1691)のケンペルの参府紀行に150歩の橋があったとの記録があるが、その後水害などにより流失したため何回となく架け替えられて今日に至っている。現在の橋は嘉瀬川改修事業に伴い旧嘉瀬橋より北約50mに移動架設され、昭和38年2月に竣工したものである。
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久保田橋
嘉瀬町新町と久保田町久富との間に架かる橋。国道444号線が新設されるに当たって新しく架けられた橋で昭和45年3月に竣工した。
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久保田橋側道橋
久保田橋の完成後、歩行者、自転車利用者のために久保田 橋のすぐ南に隣接して架けられた橋で、昭和59年3月に新設竣工した。
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築地橋
本庄江上流の新川を跨ぎ、嘉瀬町扇町と鍋島町江頭を結ぶ橋。昭和56年12月に竣工した。
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深町橋
嘉瀬町扇町と鍋島町深町を結ぶ橋。平成4年12月に 竣工し た。
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平成橋
嘉瀬町扇町と鍋島町八戸を結ぶ橋。平成元年10月に竣工した。
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高橋
平成橋の南80mに架かる橋。歩行者専用になっている。西の袂に、長崎・小倉への石の道標がある。 木造で旧長崎街道の面影を残すため、地元の人の努力で出来上がったもの。 大名行列や奉行行列が渡った橋で、江川は船の出入りが盛んで賑やかな船着き場であった。 昭和時代まで精霊流しや花火打ち上げなどがっていた。橋の近くの家には、馬の手綱をつなぐ環の金具が残っている。
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新高橋
高橋の南100mに架かる橋。現在の橋は平成元年10月に改修架設された。
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今重橋
嘉瀬町有重と西與賀町今津の間に架かる橋。昭和61年11月に竣工した。
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御船小屋橋
嘉瀬町新町と西與賀町今津の間に架かる橋。平成3年3月に竣工した。
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本庄江橋
国道444号線の新設に伴って、昭和39年3月嘉瀬町新町と西与賀町丸目との間に新設竣工した。
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本庄江橋側道橋
本庄江橋の完成後、歩行者、自転車利用者のために、本庄江橋のすぐ南に隣接して架設された橋で、昭和59年12月に新設竣工した。