昔の嘉瀬橋の急勾配 

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昔の嘉瀬橋の急勾配 

■所在地佐賀市嘉瀬町
■登録ID105

液体燃料が軍部中心になり、一般生活から姿を消した。バスにもその影響は現れ、車体の後に大きな蒸気発生器を装着し、木材を燃やしたり、木炭をくべたりして走っていた。勿論、力が弱く、スピードもダウン。嘉瀬橋が木造りで、橋への道が急勾配で、今の2倍位はあった。バスに乗っているお客さんに、バスの車掌さんが「バスが坂を登りきれません。お客さん降りて下さい」。下車した客は、バスの後押しをしてやっと登りきった。客で文句を言う人はなく、手の汚れを叩き、ふたたび乗客になる。また、人が引っぱる車力に荷を沢山積んでいる人は、この嘉瀬橋は登りきらん。その時、出番と後押しをし、手間賃とって稼いでいた人もいた。これらのことは終戦前までのことである。今は、嘉瀬川の川幅も倍以上になり、橋の長さもずっと伸び、鉄橋化され、難渋した時の面影はなくなった。

出典:野田のよもやま P.55