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[建造物][学校][勧興校区]は8件登録されています。
建造物 学校 勧興校区
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勧功興学
勧興小学校所蔵 書:佐藤尚武 「小学」礼記王制篇より 民咸安其居 楽事勧功 尊君親上 然後興学 「人がみなその処に安んじて仕事を楽しみ励み、長上を敬い親しむとき、学問や文化が盛んになる」という意味で、ここからの引用が「勧興」の由来である。 (註)佐藤尚武…明治23年卒業、外務大臣、参議院議長を歴任。
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蒙養舎
八代藩主鍋島治茂は、藩校として松原小路に弘道館を創設した。その後、天保11年(1840)に十代藩主直正が北堀端に校舎を移し17歳以下が学ぶ「蒙養舎」を建てた。 勉強の内容は漢学を中心に儒学に関するものが多く、礼法や算術、書道があり、武芸として柔術、弓術、馬術、水練などがあった。 当時、教科書として使われていた「礼記」王制篇第五の612頁に「勧功興学」という文がある。 この蒙養舎時代の教科書が現在、多久市郷土資料館に保存されている。
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国旗掲揚台
成章中学校のプール横にある掲揚台。 台座を良く見ると階段右側に「オリンピック東京大会記念1964」、左側に「昭和39年10月10日 佐賀市立成章中学校育友会」のプレートが埋め込まれている。
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勧興尋常小学校
佐藤尚武著「回顧八十年」より 『明治21年、私は父が佐賀県警察部部長として佐賀へ赴任したのに伴い、勧興尋常小学校へ入学した。幼い子供で初めて佐賀の学校に入って私はたぶんに佐賀人の気風に染まったことと思う。全校生徒で洋服を着ていたのは私と兄の二人きりであったがために非常に人々の注意を引いた。』
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佐賀市立佐賀高等小学校
明治32年(1899)、勧興尋常高等小学校の高等科が成章高等小学校に併合され、「佐賀高等小学校」が発足した。 場所は、成章高等小学校があった龍造寺八幡宮一帯から北堀端へ移転した。 明治から大正にかけ幾度かの学制の変遷を経て、昭和9年8月に「佐賀市立佐賀高等小学校」の校舎が現在地(成章町)に建設された。この工事の為に、同年5月に学校の南に「校南橋」、西に「校西橋」が竣工されている。
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成章高等小学校
明治24年(1891)、佐賀市の明倫・循誘・日新の各尋常高等小学校は、併合され明倫小学校敷地内に「成章高等小学校」が開校された。 現在の佐賀市白山一丁目の龍造寺八幡宮境内に「成章校之址」の碑がある。
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弘道館記念碑学舎図
天明元年(1781)、鍋島治茂が松原小路に藩校として創設した。 弘道館の教えは、寛政の三博士と謳われる一人で、藩士随一の学者・古賀精里の指導により、「四書五経」の精読などが行なわれた。定められた課程を終了出来なかった者は、その家禄を減らされたり、藩吏になれないなど厳しい定めが設けられた。 その教導にあたる教授の中には、大隈重信らを育てた武富い南や草場佩川などの有能な学者が多数いた。 「小学」礼記王制篇からの「勧功興学」がのちの「勧興小学校」の校名由来である。 ※「武富い南」の「い」を漢字で表記すると、「圯」の右部分が「已」で表記される。
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佐賀市立成章中学校
昭和10年(1935)、一年半の歳月と多くの人手により当時の木造としては佐賀県下でも大型の箱型校舎が完成した。周囲は、まだ水田が多かったがそのためにこの巨大な校舎は遠く離れた鍋島からも見えたと言われている。玄関正面には「奉安殿」の社も建っているのが分かる。 昭和62年(1987)には、成章中学校は開校40周年を迎えた。