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[建造物][学校][鍋島校区]は3件登録されています。
建造物 学校 鍋島校区
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佐賀大学医学部
佐賀大学医学部は、教育・研究・診療の3つの使命を一体として推進することによって、社会の要請に応えうる良い医療人を育成し、もって医学・看護学の発展並びに地域包括医療の向上に寄与することを基本理念とし、本学部では教育の特徴として自学・自習をモットーとし、科学的論理的思考に基づいた問題立脚型学習法を導入して、広い視野からの問題解決の能力の涵養を目指している。 附属病院では、地域の中核医療機関として、患者・医師に選ばれる病院を目指し、そのために地域連携室による地域医療への貢献・救命救急センターによる救急医療の充実、高度医療技術の研究開発等を目標としている。 (沿革は主なもの) ・昭和51年10月 佐賀医科大学開学(1学科目) ・昭和53年 4月 佐賀医科大学開設(8講座・9学科目) ・昭和56年 4月 医学部附属病院設置 ・昭和59年 4月 大学院医学研究科(博士課程)設置 ・平成 5年 4月 医学部看護学科設置 ・平成15年10月 佐賀医科大学と佐賀大学が統合し、新「佐賀大学」設置 ・平成16年 4月 国立大学法人佐賀大学と改名
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佐賀市立鍋島小学校
明治維新後、新政府は明治4年(1871)に文部省を設置。文部卿は佐賀出身の大木喬任。翌明治5年(1872)に「学制」を発布し、国民皆就学制をとった。 鍋島には従来、蛎久の満性院、鍋島の観音寺、森田の福満寺、東新庄の民家等に学校が開かれていたが、植木出身の学務委員堤長定等が一村一校を説いて、ついに明治15年6月それを統合して、「養正中等小学校」が創立された。 その後、明治19年(1886)学制改革、さらに明治41年(1908)義務教育は6年制をとり、ほぼ学制は完成した。 鍋島小学校は明治15年(1882)創立以来110余年を経たが、昭和53年佐賀医科大学(現佐賀大学医学部)が鍋島校区に開学し、それに伴なう周辺地区の市街化が進み、児童数が1,600名を越す事態となったため、開成校区に新に平成3年開成小学校を開校し、国道34号線を境として校区を2分することになった。こうした変遷を経ながら、鍋島小学校は百数十年の歴史を誇り、教育熱心な町民性によって、県下でも優秀な小学校となり、現在に至っている。
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佐賀市立鍋島中学校
昭和20年8月終戦とともに、旧来の制度は大幅に刷新されることになり、教育においては「新学制」が敷かれた。昭和22年4月からは、新制小学校6年に次いで、新制中学校3ヶ年が義務教育として発足した。このことにより、鍋島村では、昭和22年5月3日鍋島村立鍋島中学校が創立され開校式を挙げた。鍋島中学校は、その後20余年に渡って輝かしい歴史を残したが、昭和40年に到り、適正規模の中学教育推進のため、中学校統合が実施され、鍋島中学校は高木瀬中学校と統合され、第七中学校(佐賀市高木瀬西)となり、同年8月10日に校名は「城北中学校」と改称された。その後、鍋島地区には中学校が置かれない状況が続いたが、昭和53年佐賀医科大学(現佐賀大学医学部)の開学に伴う周辺地区の区画整理及び市街化が進み、人口増加、児童生徒数の増加に伴い、鍋島地区にも新中学校が創立されることになり、昭和58年4月1日新たに「鍋島中学校(校名は公募による)」が開校した。開校当時の生徒数は578名であった。以来鍋島中学校は市内でも有数の進学校となり、又部活動も活発で、合唱部は全国合唱コンクールで2年連続日本一に輝くなど、文武に優れた校風を今も誇っている。