満穴天満宮庚申塔

満穴天満宮庚申塔

■所在地佐賀市本庄町大字末次(満穴)
■年代中世
■登録ID819

天満宮の社殿前南側に元禄2年(1686)建立の庚申塔は13名の講仲間にて建てたものである。
講中の江口、鬼崎、今泉等は末次村の住人である。
「庚申待」とは、庚申の夜、仏家では帝釈天(タイシャクテン)および青面金剛(ショウメンコンゴウ)を、神道では、猿田彦を祭って寝ないで徹夜する習俗で、もしその夜眠ると人身にいる、三尸(サンシ)が人の睡りに乗じて、その罪を上帝に告げると、また三尸が人の命を短くするということを、庚申縁記に述べられ、平安時代に伝わり、江戸時代に盛んになった。
境内には寛文13年(1673)8月市武久左衛門延近寄進の手洗石がある。

出典:かたりべの里本荘東分P.55本荘の歴史P.121

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