妙玉寺は日蓮宗である。石井忠繁の孫忠次の嫡子忠修が永禄6年(1563)6月22日、22歳で三根郡中野で戦死したが、妻子がなかったので、直茂公は子孫の絶えることを惜しんで、嫡男石井常忠(陽泰院の兄)の三男新五右衛門常永を後嗣とし、かつ淨円寺の祖徒として祭祀をなさせた。そして、その墓地に一寺を建立して「妙玉寺」と名づけ、当時高木瀬町本通寺の住職であった大教坊日連を迎え開山した。門坊は蓮池の城門を移した堂々たるものであったらしい。
後、姻戚深堀家の菩提寺となった。
出典:かたりべの里鹿子P.11本荘の歴史P.61