常照院と藩祖の妻・陽泰院

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常照院と藩祖の妻・陽泰院

■所在地佐賀市本庄町大字鹿子1206-3
■年代中世
■登録ID797

常照院は、もとは本善院と言い、永享元年(1429)に、戦国時代小城、佐賀地方に勢力を有した千葉一族の石井忠国が開いた寺です。天正8年(1580)に忠国の子孫で藩祖鍋島直茂の妻陽泰院の実父石井常延の死去に際して、一時移されていた寺を元の石井家の屋敷(現在地)に戻しました。
元和元年(1615)に藩祖鍋島直茂が再興して鍋島家の祈願所としています。元和7年(1621)に、常延の法名常照院常祝日教から寺名が常照院となりました。常延の娘は、夫が戦死したので実家に戻り、父の屋敷に住んでいました。ある時鍋島直茂ら龍造寺軍が出陣の折、昼食に常延の屋敷に立ち寄りました。この時直茂は、常延の娘の働きぶりに感心し、好意を抱き続けていました。それから二人は結ばれることになりました。陽泰院と呼び、温順な人柄で直茂の妻として頼りになる協力者でした。
また、境内に2代藩主鍋島光茂の時の御歌書役を務めた石井如自の墓塔があります。若くして歌道、俳諧をたしなんだ文化人でした。

出典:ワークショップ中野和彦氏寄稿

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