常照院

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■所在地佐賀市本庄町大字鹿子1206-3
■年代中世
■登録ID796

当山は妙光山本善寺と称し、永享元年(1429)9月九州探題(幕府から地方に派遣された、政務、訴訟、軍事をつかさどる地方長官)の千葉胤継の副将である兵部大輔石井越後守忠国(藤原鎌足より23代目)が開山に京都大本山本國寺門流本立院日字上人を迎え創立した。
元亀元年(1570)忠国より5代の孫、兵部少輔石井常延(鍋島藩祖直茂の妻陽泰院殿の父)は、石井家の城邸を移転してその跡に、大伽藍を建立した。天正8年(1580)12月5日常延が没した。法号は、常照院殿常祝日教大神祗と称し、元和7年(1621)法号を取り、常照院と改称した。
以来明治維新廃藩置県に至るまで、鍋島家の祈願所並びに准菩提寺として寺録62石5斗を給わり、永世修復造営の恩恵を受けた。
現在の堂は、明治44年の春に竣工した。また大正4年(1915)に御大典記念として、一切経蔵並びに附属品図書館を建立した。
当院には、紺紙金泥(紺色に染めた紙に金泥で仏画を書いたもの)の光明皇后御筆玄梁院殿の出山釈迦絵像・人丸・須磨明石の、三幅一対の軸物その他宝物、什器等非常に多かったが、数度の火災にあい、焼失したものもあり、陽泰院殿の色紙短冊その他の宝物が、今なお多く残っている。

出典:かたりべの里鹿子P.3本荘の歴史P.59

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