高傳寺

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■所在地佐賀市本庄町大字本庄1112-1
■年代中世
■登録ID738

高傳寺は慧日山と号し、曹洞宗で天文21年(1552)鍋島駿河守清房公の建立になるものである。これは清房公(直茂公の父)の父君平右衛門清久公が毎月朔日丑の刻に本荘の宮に参詣されていたが、ある日本荘明神が出現し給い「嫡子清房を以て本願主となし、高傳寺の勝地を禅宗と改め、薬師仏三尊(往代薬師如来の脇侍、観音菩薩、勢至菩薩であったが、普通薬師仏の脇侍は日光菩薩、月光菩薩でこれを三尊仏と言う)を崇めよ、しからば、我鎮護の神となって汝の子孫を守らん」と仰せられたのである。薬師三尊の外に金仏の釈迦如来も安置されている。奥には初代勝茂公の建立による釈迦堂がある。承応年中(1652頃)大明国より赤栴檀(印度に産する香気の強い木)の霊木が長崎の津に渡って来た事を聞かれ、これを手に入れ、釈迦三尊(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)を洛陽(京都の異称)の大仏師に作らせた。開帳供養導師は当時10代の住持鶚峯桂雲和尚が行った。有名な湛然和尚も都より下ってこの寺に住んだ。
山門及び本堂は明治34年(1901)に改築されたものである。
山門に掲げられた扁額「慧日山」の彫刻の書は即非禅師の筆で特に目につく。また、本堂入口直上の彫刻の扁額「高傳寺」は、黄檗の僧、独立禅師の筆で古書を愛する人の目にとまるものである。

出典:かたりべの里本荘西分P.117本荘の歴史P.39ワークショップ中野和彦氏寄稿

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