直茂と梅林庵・寳持院

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直茂と梅林庵・寳持院

■所在地佐賀市本庄町
■年代中世
■登録ID732

直茂は天文7年(1538)3月13日、佐賀郡本庄の館にて生れ、幼名を彦法師といい、一時小城の城主千葉胤連の養子となったが、天文20年(1551)14歳の時、千葉家を辞して本庄の館に帰り、梅林庵において修養研学に励んでいた。そのころ梅林庵の南にあった寳持院の和尚が髪の手入れ、衣裳の着付などすべてにわたって心からお世話を務めた。そこで彦法師が成長された後、寳持院に対して「何なりと望みのものがあれば、かなえてやろう」と言われたところ、寳持院は「私には、何もお願いすることはありません。ただ蒟蒻(コンニャク)を一生のあいだ食べたいと思っています。御親切におっしゃることでございますから、この望みをかなえてください」と申し上げた。それで一生涯2日に一度ずつ使いの者が、この寺へ蒟蒻を持参したということである。
彦法師は長じて龍造寺隆信に仕えた。初め左衛門太夫信安、また飛弾守信真あるいは信昌、信生などと称したが、晩年加賀守直茂と称した。

出典:かたりべの里本荘西分P.154本荘の歴史P.48