寺家の獅子頭

寺家の獅子頭

■所在地佐賀市本庄町
■登録ID725

この獅子面は龍造寺家兼公から本庄村寺家一門に賜わったもので、代々末次の中尾家に保存されていた。家兼(剛忠)公が獅子は百獣の王と称せられ、その威は比類無く悪魔もこれを恐れる。誠に幸喜ある獣であると仰せられ、京都紫宸殿の棟木の余材で、雌雄各1個の獅子面を作り、かねて恩顧深い末次村の寺家に下賜せられた。よって寺家一同は感激し獅子舞を考案して、目出度い言葉を揃え国家安全子孫繁昌を祈り謹んで舞い寿ぐ事にした。
毎年正月3日及び5日の両夜、西の丸元茂公(小城鍋島支藩の祖)の邸を始め寶琳院、与賀神社、本庄神社、本庄の御館屋敷、龍泰寺、御隠居所(多布施直茂公の屋敷)等に出演し、同4日7日は本丸に出演する事に定められていた。後年には家中の主なる所にも出演するようになり、寺家の獅子舞と言って有名になる。
後日談「後年に至り此獅子舞の組合の者が、与賀龍造寺の一門龍造寺信門公より米数十俵を借用しその上不都合な行為があったので、この獅子面を取上げ置かれていた所、その夜深更に家内震動し獅子があばれ出したので、信門公は非常に怒りこれを弓矢にかけられた。矢は雄獅子の左眼下に命中したので、この疵が残っている」と言い伝えられているが、この獅子頭は現在所在不明である。

出典:かたりべの里本荘東分P.28