高尾宿

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■所在地佐賀市巨勢町高尾宿
■登録ID686

長崎街道は構口より丸中市場の南を通り、牛島宿の五叉路にでて旧道をとおり高尾宿の旧道をぬけ、東で南に折れ、公民館前に出た。また、寛政元年の巡見録によると当時の人数550人、戸数は、100軒ほどと書かれており、郷村帳には宿、南小路、中小路、井手小路、竈王院小路などの集落が書かれている。この宿が高尾宿で他は高尾小路である。
また、菱屋平七の筑紫紀行には「7、8町いけば人家100軒あまり、茶屋多し」と書かれ、高札といって、宿屋をおかない、小店並ぶ宿場町であったそうである。
このように、長崎街道と巨勢川の交差点で恵まれた場所で、高尾宿公民館付近は佐賀藩の年貢米の倉庫があって、ここをお倉浜といって「津出し浜だし」といい、高尾津より米の積出しが行われ、牛島宿には、「高尾市場」と呼ばれる農作物の市が開かれ、物資の集散地として栄えた。
昭和初期までは、魚屋、八百屋、酒屋、豆腐屋、菓子屋、床屋、荒物屋、畳屋、仕出し屋、自転車屋、醤油屋、肉屋、飲食店、粉ひき屋、煙草屋、製麺屋、精米所、小菓子屋が軒を並べ、それに酌婦を置く遊里が5軒ぐらいあって、さらに、高尾宿の公民館前の倉庫は巨勢町の役場があり、駐在所、病院もあって巨勢町の中心で人通りも多くつねに賑やかであった。
しかし、南に新しい道が出来て、店なども他に移り、ぽつぽつと空地もできて次第にさびれていった。

出典:巨勢町見てあるきP.17巨勢町の歴史散歩P.28

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