高尾繩手の敵討三人入り乱れての大活劇

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高尾繩手の敵討三人入り乱れての大活劇

■所在地佐賀市巨勢町
■登録ID684

寛永19年3月、高尾繩手で稚児のことから三角関係となり、訴訟による前代未聞の果し合いがあった。ちょうどそのころ藩主勝茂公は在府中でお留守、三男甲斐守直澄公がお係りでお裁きになり「双方果し合いをなし一人でも助太刀は相成らぬ。もしそんなことをすれば仕置にする」と申し渡しがあった。
「親兄弟の敵討ならまだしも、衆道の恋の果し合いとは何という珍しいことか」と、遠近から見物が押し寄せた。やがて双方から中央に進み出て、それぞれ作法を終って「イザ」とばかり立ちあがり切り結ぶ。群がる見物はひとしく我を忘れ片唾を呑んで手に汗を握り勝負いかんと目をみはる。やや久しく火花を散らして戦ううち、大野はついに敵の鋭い刀先を受け損じて高股を打ち落とされ、「アッ」と一声悲鳴をあげてその場に打ち倒れた。勢いに乗じて鍛治は今一撃と打ちおろさんとする一刹那、竹垣を押し破って、矢玉のように飛び込んだ一人の若者、「ウヌー、兄の敵覚悟せいー」と声掛け、鍛治の後からけさがけに一刀のもとに斬り伏せ、そのままいずこともなく姿を晦ました。
これこそ大野が弟千兵衛という者で、兄の敵を討ったのである。
瞬く間のこの二つの出来事に見物は呆気にとられ、ただワッワッと、どよめくばかり恋の果し合い−。兄の敵討−。」一時にそうしたことが起こるとは、これこそ珍中の珍事であった。千兵衛は勝茂公ご下国により「目の前に兄が切られ我が命が惜しいとて見て帰られるものか」と、助命になった。
彼は後、お鷹師となり勝茂公に仕え、逝去の際追腹を切ったと伝えられる。(『肥前夜話』による)

出典:巨勢P.31巨勢町見てあるきP.23