石長寺中興記碑(1基)

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石長寺中興記碑(1基)

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■所在地佐賀市与賀町(石長寺境内)
■文化財指定状況佐賀市 重要文化財
■文化財指定日平成31年1月7日
■登録ID5371

 石碑は安山岩製で「石長寺中興記」の碑と亀趺という亀形を呈した台座からなる。文字は頂部に横書きで、表面に「石長寺」裏面に「中興記」を刻み、その下に縦書きで表裏ともに1行47文字で15行の文字を配する。
 台座の亀趺は南向き(旧位置図では東向き)で、頭部を欠損している。亀趺は、現在までのところ、佐賀県下で約20例が知られているが、この「石長寺中興記碑」と多久市西渓公園内にある「大宝聖林■萬古長春石」碑以外は明治期のものであり、享保14年(1729)銘の「石長寺中興記碑」は正徳5年(1713)銘の「大宝聖林■萬古長春石」碑に次いで古いものである。
 なお、「石長寺中興記碑」は石長寺境内に置かれているが、道路拡張により原位置ではない。

【銘文の内容(概要)】
 医王山石長寺の創建時期や開山開基については不明である。中古に明室心光大姉(龍造寺隆信の妹)が中興したが、今は大姉の墳墓・霊碑が残るのみである。近年再び荒廃していたが、豪商柿久良悦が私財を投じて堂宇・庫裏・山門を新築し、本尊を補修するなどして石長寺を再興した。また、境内に法華経一万部読誦の回向塔や石造地蔵六体などを造立した。

 「石長寺中興記碑」は、明室心光大姉、柿久良光・良悦、石長寺の略歴についてのほぼ唯一の資料であり、戦国時代末期から江戸時代中期にかけての佐賀の歴史を知る上で貴重な資料である。
 また亀趺は、近世初頭に日本に伝わった石造物の洋式であり、本例は県下で最初期、全国的に見ても早い時期のものである。

出典:佐賀市文化財保護審議会資料より

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