江里天満宮石造多宝塔(1基)

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江里天満宮石造多宝塔(1基)

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■所在地佐賀市鍋島町大字森田(江里天満宮境内)
■文化財指定状況佐賀市 重要文化財
■文化財指定日平成31年1月7日
■登録ID5370

 多宝塔は凝灰岩製で、相輪及び屋根部分が失われて塔身のみとなり、基礎は別石である。
 塔身には、浅い蓮華形の仏龕(高さ27㎝、幅20㎝前後)と、蓮の台座に坐した四方仏(蓮台含め像高20㎝前後)が刻まれている。また塔身の肩部、仏龕の上部左右に薬研彫りの種字8文字が刻まれている。
 仏像は像容が不鮮明な部分もあるが、次のように推定できる。
・智拳印を結んだ金剛界大日如来坐像(印相の手が通常の逆。)
・禅定印の釈迦如来坐像
・阿弥陀定印の阿弥陀如来坐像
・施無畏印(または与願印)に薬壺を持つ薬師如来坐像
 種字は一辺10㎝前後の大きさで、大日如来の仏龕の左上から「ユ・ア・キリーク・ケン・バク・カン・ラン・バン」である。
 この他、四方仏の仏龕と仏龕の間には造立銘が刻まれている。

【銘文の内容(概略)】
 恵利二郎伴兼信の嫡子、左衛門尉伴兼時(法名正實)は、文暦元年(1234)10月8日に出家し、11月2日に往生した。父兼時の供養のため兼忠が大施主となり、この多宝塔を造立する。

 銘文から、伴(恵利)氏三代の系譜及び伴氏が鎌倉幕府から所領を賜っていること、多宝塔の維持のために法浄寺の田地を寄進することなどがわかり、鎌倉時代の古文書としての史料的価値が高い。
 また県内では鎌倉時代の多宝塔の作例が少なく、制作年代の明らかなものとしては、県内最古級のものであり、この多宝塔自体は塔身のみであるが、像容や種字、銘文の大半が判別できるなど保存状態が良く、刻まれた仏像や種字は、当時の地方領主の信仰形態を知る上でも貴重な資料である。

出典:佐賀市文化財保護審議会資料より

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