旧嬉野家の武家屋敷の門(薬医門1棟)

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旧嬉野家の武家屋敷の門(薬医門1棟)

■所在地佐賀市松原2丁目29
■文化財指定状況佐賀市 重要文化財
■文化財指定日平成27年6月15日
■年代近世
■登録ID5362

杵島・藤津地方を中心に勢力を持っていた一族で、古くは白石氏を名乗った。同氏が歴史の表舞台に現れたのは13世紀の蒙古襲来の時であり、肥後の御家人竹崎季長を助けて奮戦、その様子を描いた『蒙古襲来絵詞』にも白石六郎通泰の名で描かれている。
佐賀藩政期になると家臣団に組み込まれ、正保や慶安の御城下絵図では、片田江竪小路1番(現在の松原神社門前)に嬉野与右衛門の名が見受けられる。明和8年(1771)の「屋敷御帳控」によると、初出は文化6年(1809)正月で、嬉野与右衛門が南御堀端小路13番に屋敷地を得て文政2年(1819)5月まで居住した後、天保3年(1832)6月に現在地である松原小路4番に移っている。
屋敷地は、約30間四方と広大であり、西側は北堀端に移転拡張する前の最初の藩校弘道館敷地に隣接する。小路沿いの南面に門を構え、主屋は屋敷地の中央よりやや北側に配置されていた。この門はかつて「中門」と呼ばれ、さらに東方に配置された長屋門が屋敷の正門であったと伝えられている。
 この武家門の形式は薬医門で、三間一戸、切妻造、本瓦葺である。本柱に冠木を載せ、女梁を載せ、男梁を支えて、控え柱と繋ぐ。小屋組みは束を建てて貫で固め、棟木、桁を載せて垂木を配る。中央に一間の両開きの板戸をいれ、両脇は板壁としている。中央一間の柱の見込みは薄く、背面に一筋の鴨居が残され、元は引き分けの引戸であったことが判る。妻飾りは拝み懸魚が付き、屋根本瓦葺きの鬼瓦には「水」の字が入る鬼瓦を載せている。女梁先は簡単な渦目の絵様とする。
この武家屋敷の門の正確な建築年代は判明していないものの、門の内法高が低く古い形式を呈しており、城下町佐賀における貴重な建築遺産といえる。 

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