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[旧佐賀市][勧興校区]は149件登録されています。
旧佐賀市 勧興校区
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大楠公銅像
昭和12年5月9日、勧興小学校の校庭東に建てられた「大楠公銅像」である。 台座には「七生報国」の文字が彫られている。又、その横には「葉隠の碑」も建てられた。 今は、この付近は勧興小学校120周年記念植樹によって作られた「哲学の小道」になっており、銅像はない。
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双体えびす
白山町の高寺内にある双体の珍しいえびす様である。 右が大黒天、左が安坐えびすで仲良く、鎮座している。 七福神の中でも縁起が良いこの2体を祀ってあるのは特別なご利益がありそうである。
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鍋島直茂公の銅像
大正13年11月、佐賀藩祖鍋島直茂の銅像が上多布施町の宗智寺境内に建立された。 元亀元年(1570)、鍋島直茂が大友の大軍を奇襲した「今山の陣」の雄姿を表した壮大な像であった。鍋島直茂は、龍造寺隆信の戦死後、その武士団を配下に置き島津攻めや文禄・慶長の役で武名を上げ、名実共に肥前の領主となった。その鍋島直茂の霊を祀るために建立されたのが宗智寺である。現在は、この像と台座は今日存在せず、土台の跡だけが残っている。
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大輪鯛釣りえびす
唐人町の城雲院に通じる道に鎮座するえびす様である。 釣り上げた鯛が空中に勢いよく跳ね上がった珍しい構図で他に類を見ない造形である。 躍動的でもあり、その表情は微笑みを浮かべているようだ。 しかもこの石像は、すべて一石で彫られておりその絵画的な表現とその造形技の高度さは感心させられる。
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ゆめこいえびす
「ゆめこいえびす」は、東魚町の佐賀信用金庫本店の西横、通称「なかしま通り」の南出口の処にある。地元の商店街が地域活性化と商売繁盛を願って寄進し、建立は、平成14年12月10日と最も新しい恵比須像である。原型となった「鯛えびす」は川の中から出てきたもので無くなったモノが出てくるという謂れにちなみ、夢が叶うという意味合いを込め「ゆめこいえびす」と命名された。
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鯛えびす
飲食店がひしめく東魚町の中を流れる裏十間川にその名も「恵比須橋」がかかっている。 その橋のたもとに座するのがこの「鯛えびす」である。 この像は、実は横を流れる川底から見つかったものを地元の町内会の人達が再興し、丁重に祀っている。昭和30年頃までは「かっぽう組合」が主になって御祭りを行いそれに参加する子供達は、その日は学校を早退ができるほど賑わっていた。 同じ東魚町にある「ゆめこいえびす」の原型となったもう一体の像もこの川底から出てきたものである。
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そっくりえびす
呉服元町の旧南里本店南側の狭い路地に立っているキリっとした目、ふくよかな頬のえびす様。故・南里重次郎三代目社長の顔をかたどって作られたものである。 寄進者は、奥様のトモ子さんで昭和41年10月23日に入魂式が行なわれた。 参列者は、えびす様の顔が社長さん当人にそっくりだと語った。ご夫婦ともいつもニコニコされ柔和な方だった。
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時鐘
明治時代、まだチャイムなどがなかった頃、勧興小学校では「時鐘」で各時限を知らせていた。大興寺(神野三溝)の田中住職によると先代からの口伝でこの「時鐘」は、宝蔵寺からの譲り物であるらしい。何故、この鐘が勧興小学校に譲られたかは詳細な記録がないために不明である。 (註)宝蔵寺は、鍋島蛎久にあったが、現在は廃寺となっている。
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勧功興学
勧興小学校所蔵 書:佐藤尚武 「小学」礼記王制篇より 民咸安其居 楽事勧功 尊君親上 然後興学 「人がみなその処に安んじて仕事を楽しみ励み、長上を敬い親しむとき、学問や文化が盛んになる」という意味で、ここからの引用が「勧興」の由来である。 (註)佐藤尚武…明治23年卒業、外務大臣、参議院議長を歴任。
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蒙養舎
八代藩主鍋島治茂は、藩校として松原小路に弘道館を創設した。その後、天保11年(1840)に十代藩主直正が北堀端に校舎を移し17歳以下が学ぶ「蒙養舎」を建てた。 勉強の内容は漢学を中心に儒学に関するものが多く、礼法や算術、書道があり、武芸として柔術、弓術、馬術、水練などがあった。 当時、教科書として使われていた「礼記」王制篇第五の612頁に「勧功興学」という文がある。 この蒙養舎時代の教科書が現在、多久市郷土資料館に保存されている。
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正一位稲荷大明神
弘道館記念碑横にある「正一位稲荷大明神」である。正一位とは律令制下、朝廷より諸臣に授けられた位階のことで、官人の地位を表す等級として一位から初位の位階がある。 奈良時代中期以降、この位階が人に対してでなく、神にも授位されるようになった。これは神階と称して、諸臣に与えられる位階制度に倣うものであった、両者に直接的な関係はない。 稲荷神社については、稲荷神に対して従五位下が授けられ、その後も進階を重ね、天慶5年(942年)に諸神に対しておこなわれた授位で正一位に叙せられた。
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十二日足と鍋島花杏葉
松原神社・本殿前の燈籠には「十二日足」と「鍋島花杏葉」が並ぶ。
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武富一族の家紋
武富一族の家紋は、弓と矢を表現した独特のもの。
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武富時敏の落款
武富時敏の落款です。彼は、国会議員の中でも稀代の書道家である。 なお、落款とは、「落成款識《らくせい-かんし》」の略で、書画が完成した時、筆者が署名・捺印することを言うそうです。作品に落款印を押すのは、自己の真実を尽くした責任の証明と作品を引き立たせる役割もある。
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久米邦武の誕生地
久米 邦武は、佐賀市八幡小路で生まれる。 その地には、長男・桂一郎と一緒に誕生地の碑が建つ。
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岡田三郎助の誕生地
岡田三郎助の誕生地は、佐賀市八幡小路にある。
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勧興魂
「勧興魂」は、藩校・弘道館から受け継がれたものである。
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にこにこ福笑い恵比須
(所在)佐賀玉屋「ふるさと館」 南西 (愛称)にこにこ福笑い恵比須 一般的な半跏えびす像である。比較的新しい。 与賀神社には土地開発などでもとの場所に置いておくことのできなくなったえびす像をあつめてあるが、そこから勧請した。勧請以前のことは不明。 えびす像による町おこしや商売繁盛といった願いもあるが、このえびす像が祀られている交差点は交通事故が多いため、交通安全の意味もあるということである。 2007年8月27日は、塩と榊(枯れていた)があがっていた。10月6日の再調査時も同様だった(なお、榊は枯れてはいなかった)。ちょうど取材の時(朝10時ごろ)、ふるさと館の方が榊の水を替えていた。 このえびすは、神道の形式で祀っているように思う。
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よかふく恵比須
(所在)中の小路 佐賀玉屋 新館2階テラス 北西 (愛称)よかふく恵比須 一般的な半跏えびす像。烏帽子のところに宝珠がある。また、前に賽銭箱が設置してある。また、しめ縄がかかっている。花瓶に「御神前」の文字がある 玉屋の方にお話をうかがった。この像は、久保田にある以前の社長宅にあったもので、去年家を直す時にこちらに移したそうだ。 毎日ではないが、水と塩、榊をあげているそうだ。 2007年8月27日は、水と榊があがっていた。花はあがっていなかった。 ①「花があがっていない」「榊をあげる」「しめ縄がかかっている」「塩をあげる」など神棚に似ている ②賽銭箱がある ③花瓶の「御神前」の文字 の3点から、神道の形式で祀っているように思う。
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引っ越し恵比須
白山2丁目にある通称「引っ越し恵比須」 以前は他の場所にあったが、そこの方が引っ越しをする際にこちらに譲ったそうだ。引っ越しをしたお店だけでなく元あった場所に新しく入ったお店も繁盛しており、引っ越し先の白山商店街でも観光スポットができて喜んでいるとのことで、引っ越しの時にどうですか、と言っているとのことだった。
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寺町恵比須
唐人2丁目にある通称「寺町恵比須」 初代の東京医学校校長だった相良知安の墓所の向かいにある像。この像が学問にきくかもしれないという噂を広めているそうだ。
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三界萬霊
「三界萬霊」とは仏教語で三界は、欲界・色界・無色界をいい、萬霊というのは欲・色・無色界の有情無情の精霊などのあらゆる世界をさしている。それらを供養することが三界萬霊塔である。 多布施川・開運橋北にあるこの像は、道行くすべての生き物を眺めているようである。
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善左衛門井樋
橋ではなく、多布施川にはこうした「井樋」が数多くあり、細かな水路への水取入れ口になっている。 昔は木製でしたが、段々と鋼鉄製の巻上げ式に変わってきている。
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大井手土地改良区跡
嘉瀬川の水利は、大井手・東芦刈・西芦刈などに分かれ複雑である。 昭和41年に水利が一本化され佐賀土地改良区となり、その後昭和57年まで多布施川・青木橋近くに事業所があった。
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平島守護仏
平島町区・聖衆院の一角に薬師如来の仏様がある。 創建の年代は明らかではないが、口伝によると200年程さかのぼるようである。 当時、このあたりがまだ神野村だった頃、地元の人達が薬師堂を建立したのが始まり。眼病と疫病の難から地域を守ってくれると春秋の祭典が行われた。
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アームストロング砲
アームストロング砲は幕末に佐賀藩が保有していた最新の後装施条砲。1855年イギリスで開発され、佐賀藩は長崎のグラバー等を仲介として輸入した。佐賀藩でも製造したといわれているが、実否は明らかでない。戊辰戦争では上野や奥羽の戦いで用いられ、「佐賀の大砲」として威力を示した。
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カノン砲
佐嘉神社正面入口左にある、我が国最初の鋳造鉄製150ポンドカノン砲である。 この大砲は、当時品川砲台に備えられたもののひとつを復元した物。 10代藩主・鍋島直正公は、長崎警備増強の必要性を痛感し、台場の増強と洋式鉄製大砲の製造を行った。 嘉永3年(1850年)、築地に独自の洋式反射炉を築造し、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功し、長崎台場の防衛用大砲を建造した。
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唐人町の恵比須さん
唐人町の恵比須さん。
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東魚町恵比須
恵比須橋のたもとにある恵比須さん。 昭和30年代の初めまでは、近所の人達のお祭りで大いに賑わったそうである。 当日は、この町区の子供達は学校も早引きを許され、お手伝いに出ていた。
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国旗掲揚台
成章中学校のプール横にある掲揚台。 台座を良く見ると階段右側に「オリンピック東京大会記念1964」、左側に「昭和39年10月10日 佐賀市立成章中学校育友会」のプレートが埋め込まれている。