白鬚神社の田楽

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白鬚神社の田楽

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■所在地佐賀市久保泉町大字川久保 白鬚神社の田楽保存会
■文化財指定状況国 重要無形民俗文化財
■文化財指定日平成12年12月27日
■年代無し
■登録ID5345

白鬚神社は、近江の国白髪大明神の分霊を勧請した古社と伝えられる。勧請に奉仕した19の家があって、いずれも姓に丸字をつけているので、丸持の家といわれ、丸祭と呼ぶ古式の祭りが伝承されている。毎年10月18、19日に行われる秋季例祭に、川久保集落の人たちによって奉納される舞楽がすなわち田楽である。
白髪神社における田楽の史料上の初見は、寛文5年(1665)に編さんされた『肥前古跡縁起』が最初で、ついで 享保19年(1734)建設の石鳥居に「時奏村田楽」とあるくらいで乏しい。
田楽の起源は平安時代、田植のおりに笛や鼓などを奏しながら歌い舞ったものが、次第に形を整えて専業化し、神社仏閣などに奉奏するようになったものと考えられる。
白鬚神社の田楽は神社境内に設けられた玉垣(たまがき)(青竹で組んだ囲い)の中で行われる。
 当日の早朝、田楽衆はみそぎをして身を清め、午前11時頃に神社社務所に集合し、衣裳を着つけ、化粧などの準備をする。ササラツキ4名(オモ2名、ワキ2名)は、美しく女装した少年で、顔は化粧をして点彩をほどこし、袖と裾に波と兎の紋様のある青地の着物に、黒の繻子帯(しゅすおび)を前に結んでその両端を長く垂らす。後頭部に女性のかもじを下げ、大きな花笠をかぶる。花笠は割竹を編んで紙を貼ったもので、造花をつけた竹へご数10本を突き刺している。この花笠の上に古鏡二面をとりつけた女帯を二筋ずつ垂らす。手にササラ(編木)を持つ。カケウチ(2名)は腰の前に太鼓を吊し背中に金銀で飾った木刀を負った若者による。ハナカタメ(1名)は鉢巻きを締めて手に造花をつけた棒と扇を持った幼児で、スッテンテン(1名)は金色の立烏帽子(たてえぼし)をかぶり手に小鼓(こつづみ)と扇を持つ。笛役(7名)は大人で、世襲で、うち熟練者1名が頭取(とうどり)として全体の指揮にあたる。
定刻になると行列を整えて、神社の鳥居まで「道行(みちゆき)」を行う。このとき、ハナカタメとスッテンテンは付き添いの男性に肩車をされて移動する。行列が鳥居にかかると、「鳥居(とりい)がかり」の曲が奏され、この後一同は境内に入り、社殿前に青竹で作られた玉垣内に入り、それぞれ定められた位置で、まず、「三三九度(さんさんくど)」が演じられる。カケウチは左右に相対して跪坐(きざ)し、ときどき掛声を発して太鼓を打つ。ササラツキのうちオモ2名が前方に進み出て相対して立ち、囃子につれてササラをつき、わずかに位置をかえる緩慢な所作が行われる。のち、ササラを置いて扇をひらき、緩やかな所作を行うと、オモにかわってワキ2名が進み出て、しばらくオモと同じ所作を行う。最後にスッテンテンとハナカタメが並んで進み、一周してもとの位置に戻って座る。ついで、「つきさし」「さざれすくい」「四方立(しほうだち)」「おさえばち」「むこうにみあし」といった曲が1時間30分余りをかけて演じられる。一部カケウチの活発な動きはあるものの、全体としてはゆっくりとした曲と動きである。
佐賀県下に残る唯一の田楽である。鼓打ちの稚児(ちご)をスッテンテン(シテテンの変化)と呼ぶなど田楽の古い姿を伝えている。また、子どもたちが主体なので稚児田楽ともいわれ、演者の衣装と化粧にも特色がある。特にササラツキは少年が女装をするが、花笠は他の田楽に見られない異風なもので、風流の影響が考えられる。演者は田楽奉納の期間中はみそぎをし魚肉を遠ざけ精進をしなければならない。もし、精進を破ったばあいは、演舞中に気分が悪くなるといわれ、改めてみそぎをし直す。地区に定着する中で独自の展開を見せ、地域的特色も顕著である。芸能の変遷の過程を知る上で重要であり、九州に残る希少な田楽である。