銅造明神鳥居 寛永十七年の銘あり  一基 (大堂神社)

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銅造明神鳥居 寛永十七年の銘あり  一基 (大堂神社)

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■所在地佐賀市諸富町大字大堂 大堂神社
■文化財指定状況佐賀県 重要文化財
■文化財指定日昭和46年6月23日
■登録ID5309

大堂(おおどう)神社は、弘安2年(1279)創始と伝えられている。
この銅造鳥居は、大堂神社の三の鳥居(寄進時は一の鳥居)とされ、寛永17年(1640)の造立銘をもつ県内唯一の鋳銅製の明神鳥居である。
高さ4.78メートル、笠木の長さ6.87メートルである。笠木(かさぎ)はゆるやかに反りながら両端で厚みを増す。木鼻(きばな)は斜めに切れる。柱はほぞのある鋳造円筒を4個積み上げている。2段目までは砂をつめているが、その上部は空洞である。基部は円形の台石に乗る。
笠木・島木(しまぎ)・および貫(ぬき)はいずれも、厚さ約1.5センチメートルの長方形の銅板を鋲止めにした箱状のものを3本継にし、継目に幅広の薄い銅板を巻いて造り上げている。また、笠木の上面を、薄くて細長い銅板を横継ぎにして覆っている。笠木と島木の芯には松材が使用されているが、貫は不明である。
正面には、銅板押し出しの杏葉紋の額束をかかげ、笠木の両端には十六弁の菊花紋、島木には杏葉紋がそれぞれ配されている。
この鳥居は、島原の乱に出陣した小城藩初代藩主鍋島元茂が、戦勝祈願成就に寄進したもので、左柱には、次のような銘が陰刻されている。
寛永十七年庚辰年二月十五日
大願主 従五位下鍋島紀伊守 藤原元茂(以下略)。