青漆塗萌黄糸威二枚胴具足 一領

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青漆塗萌黄糸威二枚胴具足 一領

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■所在地佐賀市松原二丁目 鍋島報效会
■文化財指定状況佐賀県 重要文化財
■文化財指定日平成22年3月12日
■登録ID5280

初代佐賀藩主鍋島勝茂(1580-1657)が着用した、総体青漆(せいしつ)塗の当世具足。兜高29.0センチメートル、胴高45.0センチメートル。青漆とは漆に石黄(せきおう)等を混ぜて青緑色に発色させたもので、桃山時代以降の甲冑にまれに見られる。兜は桃の実を象った桃形兜(ももわりかぶと)で、古様な杏葉紋の前立(まえだて)をつける。桃形兜は西洋の兜の影響を受けて作られた変り兜の一形式で、桃山から近世初頭にかけて佐賀藩をはじめ福岡藩、柳川藩など九州各地で特に多く用いられた。兜の後ろにさがるシコロは日根野形(ひねのなり)という、江戸時代初期の好みを反映している。
胴は鉄板に漆で小札(こざね)の刻みを盛上げて本小札のように見せた切付盛上(きりつけもりあげ)小札の板を上下に連ねて固定し、左脇の蝶番で開閉して着用する二枚胴である。後補・別物の箇所がいくつかある。
具足の胴裏に記された金泥銘、「鎧記(よろいき)」により、寛永14年(1637)島原の乱の折に勝茂が着用し、その5年後に末男直長(1628-1693。明暦元年に神代家の家督を相続)に与えられたことが分かる。また、附の「鍋島内記茂生書付」(我家所蔵鎧)により、その後は直長の息子茂真に始まる鍋島内記家(親類。茂生は内記家6代、1821-1846)に幕末期まで伝来したことが分かる。
近代以降の経緯は明らかでないが、附の鎧櫃に「永田町 侯爵鍋島家」との貼紙があることから、遅くとも永田町の鍋島本家の邸宅が震災により崩落した大正12年までには本家に所管が移っていたことが分かる。
(写真:鍋島報效会提供)