矢調べ 岡田三郎助筆 一面

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矢調べ 岡田三郎助筆 一面

  • 矢調べ 岡田三郎助筆 一面

■所在地佐賀市城内一丁目 佐賀県立美術館
■文化財指定状況佐賀県 重要文化財
■文化財指定日平成10年5月11日
■登録ID5263

「矢調べ」は、明治、大正、昭和にわたり、東京美術学校西洋画の指導者として、また、文部省展覧会にはじまる官設展などの審査員として、日本近代洋画史におけるアカデミズムを代表した岡田三郎助(1869~1939)が、明治26年(1893)に制作した記念碑的な作品である。
岡田が本格的に洋画を学ぶのは、鹿児島出身の曽山幸彦(1859~1892)の画塾に入門してからで、この画塾において、岡田は曽山からは主に人体写生を学び、曽山没後は画塾を引き継いだ堀江正章(1858~1932)から、色彩についての教えを受けた。
この作品は、明治26年(1893)大幸館画塾の卒業制作であり、翌27年の第6回明治美術展の出品作である。作品の、主題としては曽山の作品にも見られた弓術に係わる「歴史的記録画」としての性格を持ち、色彩においては、脂色を帯びた全体の色調の中に、「コバルト先生」と異名をとった堀江の影響が膝上、腰の暗部などに見られる。
作品のモデルとなったのは、一説に、岡田の母方の縁者にあたる吉田丈治(長野県出身)で、のちに乃木希典大将のもと、陸軍主計少将となる人物とされる。また、同郷の画家小代為重(1861~1951)によれば、モデルは「偶々曽山のところへ来た清楚な感じの針屋の爺さん」という。
作品は、岡田のフランスでの絵画修行以前の代表作であるのみならず、明治洋画においても、とりわけ明治20年代の絵画傾向である明治美術会の設立から黒田清輝、久米桂一郎らによる新しい美術団体への若手画家たちの結集という時代にあって、ひときわ時代性をはらんだ作品である。