釈迦・迦葉・阿難図 狩野探幽筆 三幅

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釈迦・迦葉・阿難図 狩野探幽筆 三幅

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■所在地佐賀市本庄町大字本庄 高伝寺
■文化財指定状況佐賀県 重要文化財
■文化財指定日平成9年5月9日
■登録ID5261

本図は、江戸時代初期の代表的な画家で、幕府の御用絵師をつとめた狩野探幽(かのうたんゆう)(1602~1674)が佐賀藩初代藩主鍋島勝茂(1580~1657)の注文により、鍋島家の菩提寺である曹洞宗の恵日山高伝寺のために描いたものである。
中幅に合掌する立像の釈迦(しゃか)、左右幅は坐像で、向かって右に釈迦十大弟子の迦葉(かよう)、左に同じく十大弟子の阿難(あなん)を配す。迦葉は両手で経巻を持つ老人の姿で、阿難は鉢を持つ青年の姿である。阿難の若々しい表情が印象的である。
絵画で釈迦・迦葉・阿難を組み合わせて三幅とする作例は珍しい。描法にも創意が見られ、中幅と左右幅とは描きわけられており、中幅の釈迦図は肉見部に金泥を用い、衣文線には淡墨と淡朱が併用されているのに対し、左右幅は墨画である。
さらに、探幽としては長文の款記に「肥前の太守の命によって」高伝寺のために描いたことが記されている。「御寄付物帳」(1855年、鍋島文庫蔵本ほか)により、勝茂が高伝寺に納めたことが知られるため、本図の注文主が勝茂であることがわかる。
なお、制作時期は、画風、落款(らっかん)などから明暦年間(1655~57)ごろに想定できる。探幽50歳代半ばころの創意、描写力ともに充実した時期の優れた作品であり、保存状態も良好である。また、探幽と勝茂の関係を示す貴重な作品である。