肥前国分寺跡

肥前国分寺跡

  • 肥前国分寺跡

■所在地佐賀市大和町大字尼寺 宗龍寺
■文化財指定状況佐賀市 史跡
■文化財指定日平成2年5月30日
■登録ID5244

肥前国分寺跡は佐賀市大和町大字尼寺字真島(通称、国分)にある奈良時代の寺院跡である。佐賀市街北方約5キロメートルの脊振山麓の嘉瀬川で形成された扇状地の東端に位置する。
肥前国分寺の造立年代は不詳だが、聖武天皇による国分寺・国分尼寺造立の詔は、天平13年(741)に出されており、そのころに造られたと思われる。
 寺域は2町(1辺約216メートル)四方で、西辺で西門と外溝、西南隅の築地痕跡、東辺で築地と外溝、南辺では外溝が確認されている。
 伽藍配置は中央に金堂、北側に講堂、東南方に塔を配置したものと考えられており、おそらく中門に取り付く回廊がこれらの建物を取り囲んでいたと推定される。金堂跡と推定される建物基礎跡は、南北39.4メートル、東西20.8メートルに復元できる。その上に4間×9間(13.2メートル×33.3メートル)の建物が復元想定される。講堂は僧侶たちが修学する場でその詳細は不明であるが、礎石等の散乱の状態や、整地上の状況から金堂の北側に位置していたと推定される。塔跡と推定される基壇跡は、南北24.9メートル、東西25.4メートルのほぼ正方形に近い掘り込み地業基壇(基礎づくり)である。塔については、金堂の東南約40メートルのところで、講堂、金堂との位置関係から七重塔と考えられている。
また寺域の東側では瓦窯4基が発見されており、出土軒瓦はすべて鴻臚館系のものである。創建瓦は複弁蓮華文軒丸瓦と均正唐草文軒平瓦で、ほかに鬼瓦、道具瓦も出土している。