木造了意和尚像

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木造了意和尚像

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■所在地佐賀市本庄町大字本庄 静元寺
■文化財指定状況佐賀市 重要文化財
■文化財指定日平成5年3月31日
■登録ID5180

絶学了意和尚(了爲ともいう)は、小城郡古湯村(現佐賀市富士町)で山伏の子として出生。出家して川久保松陰寺に入り、元禄9年(1696)藩主鍋島綱茂の命で高伝寺19世住持となる。
2代藩主鍋島光茂が没し、2か月後の法要が済むと、黒土原の山本常朝の山屋敷朝陽軒に入り、常朝と同居した。朝陽軒はのちに高伝寺末寺として宗寿庵となり了意和尚が開山者となる。
宝永6年(1709)加賀国大乗寺住持となり、6年後に帰国した。享保11年(1726)に没す。山本常朝は元禄9年(1696)5月19日高伝寺の了意和尚より受戒。この了意和尚の木造の像が静元寺(開基、鍋島生三)に安置されている。
了意和尚は、葉隠の口述者山本常朝との交流が深く、湛然和尚とあわせて葉隠の成立に大きな影響を与えたことが考えられ歴史上重要な位置を占める人物である。そしてこの像は、了意和尚が死去した翌年享保12年(1727)に造られており、製作の時代、作者が確認できる資料として貴重で、造像技法も本格的であり歴史資料として、彫像として高く評価できる。