佐賀百六銀行

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佐賀百六銀行

■所在地佐賀市
■登録ID481

 明治9年の国立銀行条例の改正後、各地に国立銀行設立の気運が強くなった。鍋島家東京本邸でも深川亮蔵が中心になって設立計画が進められ、明治10年12月には県出身の士族有志が資本を拠出し、東京第三十国立銀行が設立された。深川亮蔵はこれと並行して、佐賀鍋島家にはたらきかけ、佐賀県にも銀行設立を企図した。
 明治10年6月、設立趣意書を各方面に配布すると同時に、水ケ江の宗龍寺に創立事務所を設け、出資金を募集したところ短期間で集めることができた。明治12年2月認可申請書を提出、ときの大蔵卿大隈重信の認可を受けた。
 佐賀第百六国立銀行の設立は旧佐賀藩主、東京鍋島家の銀行類似業務の仕法方(出納係)深川亮蔵(東京第三十国立銀行頭取)らの援助のもとに、鍋島茂智らの旧藩士のほか、伊丹文右衛門、古賀善平ら旧藩御用商人によって、明治12年4月1日、本店を北堀端2103番地にて開業した。開業と同時に県の公金取り扱い指定を受け、明治16年7月には、国庫金出納事務を扱うなど、県下最大の国立銀行となった。
 明治31年4月1日付きで、株式会社佐賀百六銀行に変更し、佐賀馬車鉄道株式会社(明治34年設立)広滝水力電気株式会社(明治39年設立)など県内主力企業の育成に積極的に力を貸した。
 大正13年4月肥前銀行を吸収合併し、同年9月には本店を肥前銀行跡の佐賀市呉服町28番地2・3(元佐賀玉屋北)に移転した。
 住友銀行に営業権を譲渡、第一次大戦後の反動恐慌に続く慢性的な不況により、大正15年には、県内2大銀行の取り付け休業騒動等が発生し、同行の経営も厳しくなった。昭和3年1月、同行は住友銀行に経営を委譲する方針を固め、持株の割合も住友銀行が86%を占めいわゆる住友銀行の内地連携銀行となった。
 住友銀行佐賀支店は、昭和16年9月1日、1県1行主義による銀行合同の流れにしたがい、唐人町、水ケ江等の各支店を佐賀興業銀行に譲渡し、同行の本店は、住友銀行佐賀支店となった。
 昭和45年11月八幡小路2-3に支店を移転し現在に至っている(※)。

※2001年に合併により住友銀行は三井住友銀行となる。支店は駅前中央1丁目に移転。

出典:ふるさと循誘(P.123)