山口亮一

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山口亮一

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■所在地佐賀市与賀町精
■登録ID2596

山口亮一 略年譜
明治13年(1880)8月10日佐賀市赤松町において旧鍋島藩士中野到明の二男として出生、長兄礼四郎、長姉磯千代、に次ぐ第3子の辰年生まれとあって、辰三と命名。
明治19年6歳、医師山口亮橘の養子となり亮一と改名する。
明治36年23歳、佐賀市勧興小学校より佐賀中学を経て、東京早稲田中学校卒業、黒田清輝主宰の東京溜池白馬会洋画研究所に入所。
明治39年26歳、東京美術学校西洋画科入学。
明治43年30歳、第4回文展初入選(わら家)同年山口スガ(16歳)と結婚。
明治44年31歳、東京美術大学校首席卒業、帰郷して一生佐賀に住み製作と後進の指導にあたる。
大正2年33歳、第7回文展入選(薔薇と虞美人草)久米桂一郎、岡田三郎助、北島浅一、御厨純一などと佐賀美術協会を創設する。
大正3年34歳、第8回文展入選(花三種)。佐賀美術協会展覧会第一回展を県会議事堂にて開催。
大正4年35歳、第9回文展入選(白い芍薬)
大正7年38歳、第12回文展入選(鉄砲 合)
大正9年40歳、第2回帝展入選(燈下の静物)宮内省買上げを賜る。
大正10年41歳、佐賀県師範学校に奉職、昭和18年退職まで23年間美術教諭を務める。
大正11年42歳、第4回帝展入選(鳥と子供)佐賀美術協会展覧会第一回を県会議事堂にて開催。
大正15年46歳、第7回帝展入選(縁の庭)モデルはスガ夫人
昭和11年56歳、帝展の無鑑査になる(菊花)。
昭和13年58歳、日展無鑑査出品(白い薔薇)
昭和14年59歳、日展無鑑査出品(爛漫)
昭和16年61歳、日展無鑑査出品(山路)
昭和21年66歳、佐賀美術工芸研究所を開設し、陶磁器美術指導。
昭和24年69歳、佐賀県文化功労者として県教育委員会より表彰を受ける。
昭和32年77歳、佐賀新聞文化賞を受ける。喜寿展を佐賀商工会館にて開く。
昭和33年78歳、喜寿画業展を県文化館ホールにて開催。
昭和34年79歳、東京日比谷画廊にて個展を開く、社会教育功労者として表彰される。
昭和37年82歳、佐賀県知事より文化功労者として表彰される。
昭和41年86歳、勲四等に叙せられ、瑞宝章を受ける。
昭和42年87歳、10月30日永眠。11月4日佐賀市与賀町の浄土寺において佐賀美術協会葬。

 

出典:山口亮一旧宅パンフレットより

 明治22年(※)(1880)〜昭和42年(1967)
 佐賀藩士中野致明の2男として佐賀市赤松町に生まれる。幼名辰三。6歳の時、山口亮橘の養子となり亮一と名のる。
 東京美術学校卒業後、佐賀師範や旧制佐高(現佐賀大学)の美術教師として後輩の指導にあたった。大正2年(1913)佐賀出身の久米桂一郎、岡田三郎助らの同郷先輩の指導、協力で「佐賀美術協会」を創設。以来「佐賀美術展」を開催するようになった。武藤辰平、田中宗一らとともに中央画壇に野心を向けることなく、生涯を郷土の画壇振興にかけた。
 昭和41年(1966)国から勲四等瑞宝章を受賞、作品には「灯下の静物」(宮内省買上げ)などがある。また、旧家(与賀町精)は山口亮一画伯記念館となっている。

※正しくは明治13年(1880)

出典:日新読本p.192

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