谷口清左衛門長光

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谷口清左衛門長光

■所在地佐賀市(日新)
■登録ID2589

  天正12年(1584)〜寛文6年(1666)
 佐賀藩御用鋳物師。父の筑紫紆介治門は龍造寺の怨敵、川上左京を討って自害し、その功で、龍造寺政家から龍の一字を与えられた。龍清左衛門尉長光は豊後国(大分県)谷口邑の鍛治の家で養育され、武器などを鋳造する技術を身につけた。寛永6年(1629)筑後瀬高(福岡県瀬高町)に滞在中、黒髪神社(武雄市山内町宮野鎮座)の本地仏を作った。これは同社に現存している。同年、鍋島直茂から御用鋳物師として召し抱えられ、居を佐賀六反田(佐賀市大財1丁目)にかまえ谷口と改名した。
 寛永14年(1637)英彦山の鳥居、寛永19年(1642)ころ白山八幡社の鐘、佐賀城本丸の鯱、藩主の進物用の茶釜などを鋳造し、以後代々清左衛門を襲名、佐賀藩の鋳物師として仕えた。
 孫の安左衛門尉兼清の代に長瀬町(佐賀市長瀬町)に転居、以後、藩の長崎警備用の石火矢(大砲)や、北九州一円の寺院の撞鐘などを鋳造している。
 谷口家の歴代の墓は佐賀市長瀬町泰教寺にある。

出典:日新読本p.185