田中久重(近江)

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田中久重(近江)

■所在地佐賀市(日新)
■登録ID2587

  寛政11年(1799)〜明治14年(1881)
 久留米のべっ甲職田中弥右衛門の長男として生まれ、初め儀右衛門、のちに近江大掾の称号を授かって近江と改めた。通称、からくり儀右衛門として知られ、幼少のころより機械を作ることを好んだ。
 9歳で錠仕掛の硯箱、15歳で久留米絣の織機を発明したりして大人たちを驚かせた。36歳のとき天下の発明家を志し京都にでて天文学や蘭学を学び西洋理学を修めた。
 嘉永5年(1852)佐野常民の推挙で、佐賀藩の精煉方に嗣子儀右衛門と共に入り、大砲・汽缶・汽船などの製作を次々と成し遂げついに、元治2年(1865)本格的な日本最初の蒸気船「凌風丸」を建造し佐賀藩に多大な貢献をした。
 又、元治元年(1864)には、久留米藩11代藩主有馬頼咸に召しかかえられ、その後は、息子の儀右衛門に任せて、月の上半分は佐賀、下半分が久留米という生活になった。
 明治6年(1873)75歳で上京、ブレーゲ電信機製造に成功、没後1年して2代久重により芝金杉新浜町に田中工場(のちの東京芝浦電気㈱)を設立、わが国初めての電気工業の工場を経営した。

出典:日新読本p.184