石井龍右衛門

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石井龍右衛門

  • 石井龍右衛門

■所在地佐賀市(日新)
■登録ID2577

  文政8年(1825)〜明治15年(1882)
 国学者として名をなした。名は鉄、通称龍右衛門・松堂と号した。北島武兵衛の次男に生まれ、のち石井家の養子となった。
 弘道館及び夏秋富雄に学び、弘道館指南となったが、病気のために辞してのち佐賀駄賃小路(現在の伊勢町)に家塾純粋社を開いて子弟を教えた。日本外史・大日本史を講じて、愛国思想を鼓吹した。朱子新註を説いた夏秋富雄の学説をついで、彼の国典経史を基礎とした枝吉神陽学派と相応じ、古賀精里学派の旧朱子学に対立して重きをなした。
 豪放活達で幕末新進の青壮年に尊敬された。副島種臣と親交があり、江藤新平、石井竹之助、山田平蔵らはその門下生であった。
 佐賀市伊勢町に純粋社の記念碑が建っている。著書に「純粋社詩文鈔」がある。

出典:日新読本p.168