進駐軍宿舎

進駐軍宿舎

■所在地佐賀市材木
■年代現代
■登録ID2572

 昭和20年秋、大戦の敗戦により佐賀市にもアメリカ占領軍が進駐してきた。市内の主な公共施設にはアメリカ兵の衛兵が立ち、MPがパトロールしていた。新道の内庫所も接収され、何らかの施設となったのか、朝夕の星条旗の上げ下ろしには路上のアメリカ兵の直立不動の姿も見られた。
 材木町の資産家川原氏宅の洋風の別棟も司令官宿舎として接収された。当時庶民の生活は衣食住にも事欠き、水道は水圧が弱く、共同水道でも地面下まで掘り下げないと水があまり出なかった。また電力も不足し電圧を下げたローソク送電、しかも度々停電した。
 ただ、司令官宿舎だけは煌々と灯りがともり、門前の電柱の街灯も輝いていた。期末試験が迫ると近所の旧制中学生たちは、教科書や参考書を手に街灯の下に集まっていた。
 司令官の就学前の一人息子アーサー君、やんちゃ坊主らしく近隣の台所までちらかしていた。つかまえて話しかけたが、われわれのつたない英語力では名前や年齢を聞き出すのが精いっぱいであった。
 司令官夫人は夏になると、やはり接収されていた佐賀中学(現西高)のプールに行くため、ジープに乗って肌をさらしていた。
 接収解除後、川原家では床の間だったか押し入れだったかがトイレに改造されていたとこぼしていたということである。

出典:谷島俊四郎