佐賀江川

佐賀江川

■所在地佐賀市朝日町・今宿町
■登録ID2569

 今宿を起点とする一級河川佐賀江川は、かつては今宿江湖と呼ばれていた。佐賀平野を流れる川は、原則として北から南へ流れているが、この川はいちじるしく蛇行しながら高低もなく東西に流れている。(改修以後は直線)これは大昔の海岸線(海抜4mの長崎街道)に沿った干潟の澪が成長した結果である。
 この川の役割は嘉瀬川から城原川に至るこの川の以北の佐賀平野の排水機能である。従って材木町で明渠や暗渠で多布施川末流の裏十間川とむすびついたり、十間堀川と巨勢でつながったりして、循誘校区内の水路はすべてこの川で排水されている。そのためこの川の排水能力の限度を越えると校区内も洪水に見舞われていた。
 もう一つの役割は運河としての役割である。慶長18年(1608)鍋島直茂が佐賀城を築き城下町を経営するに当たって、これに目をつけ、筑後川と城下を結ぶ運河として利用した。築城や城下町形成には膨大な石材や木材が必要となるが、これらの運搬は船に頼る他はなかった。これらの材料は下今宿の船着き場に陸揚げされた。
 この運河としての役割は江戸時代、明治、大正と陸上交通の発達するまで、米、薪炭、味噌、しょうゆ等城下町の人々の生活必需品の輸送に欠かせない水路であった。下今宿は城下町最初の宿泊地であったため、商家、問屋が発達した記録が残されている。

出典:佐賀の水と土