岩倉具視卿子息たちの佐賀留学逗留

  1. 物語・いわれ
  2. 物語・四方山話
  3. 検索結果
  4. 岩倉具視卿子息たちの佐賀留学逗留

岩倉具視卿子息たちの佐賀留学逗留

■所在地佐賀市呉服元町6-5 (願正寺)
■年代近代
■登録ID2564

明治政府の中心的人物であった岩倉具視卿は、当時、頭角を現していた副島種臣、大隈重信、大木喬任、江藤新平らを育てた佐賀藩の教育に強い関心を示し、自分の子息らを藩校の弘道館へ留学させたいと、藩主直正に頼んだ。
当時、弘道館はあらあらしい気風がみなぎっており、驚いた直正公は「貴公子を迎えるには恥ずかしい限り」と固く辞退した。
しかし,結局、子息二人は佐賀に下り、願正寺に投宿しました。そして1カ月遅れて養子、分家の子息なども来佐した。
中央から佐賀への留学は、当時、佐賀が優秀な教育の場と目されていた証拠であろう。

出典:「鍋島直正公伝」ほか