与賀町のはじまり

与賀町のはじまり

■所在地佐賀市与賀町
■登録ID2505

通称「与賀ん馬場」または「八丁馬場」と呼ばれた与賀神社の参道は道祖元町まで東西に直線で続いている。この道は条里制の遺構を残す道路で城下町建設の時基準線となった。
『藤龍家譜』という本に「文安五年(1448)中国の大内氏から追われた少弐教頼が、佐賀の龍造寺氏を頼って、この地に逃れ、与賀城を築いた。その子政資は文明14年(1482)城の鬼門に与賀社を建て鎮守とした。この界隈は小津の入江で喧噪であったので、港を西に移し、西岸の在家を分けて、東岸を今宿に、西岸を今津に移し、旧江の極まるところを相応と名づく、その時、「小津郷改めて与賀郷という」とみえる。
与賀城は現在の龍泰寺付近にあったと推定されている。与賀神社では毎年5月30日、同社の創建者少弐政資の神霊を迎えて祭典を施行している。なお、与賀町という行政地名の誕生は明治14年である。

出典:佐賀城下みて歩きP12