戦後佐賀市の変様

戦後佐賀市の変様

■所在地佐賀市(赤松)
■登録ID2500

戦後、国土復興のため、中小企業が勃興、市勢も一時活気を呈したが、やはり生産都市としてではなく、消費的性格が強いため、市勢も伸び悩む傾向にあった。しかし、昭和29年以降の町村合併によって隣接の11か村を吸収合併、市域は明治22年の市制発足当時に比べ、22倍に拡大、人口も10万台を突破した。だが、佐賀市の都市機能はこれに対処できず、飛躍的に増加した自動車に大都市なみの障害をおこす結果となった。そのため、県や市では総合開発計画をつくり、これまで雑居していた商業地区と住宅地、工場地と住宅地を区別するため、高木瀬町に工場団地をつくり、バイパスの建設、神野土地区画整理、街路計画、下水道計画など次第に近代都市としての脱皮がなされてきている。とくに狭隘だった佐賀駅も昭和51年高架移転を完了、都市の再開発も駅前から唐人町に通じるシンボルロードを完成させた。

出典:佐賀城下みて歩きP2