祐正寺

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■所在地西与賀町大字高太郎1049
■年代中世
■登録ID237

【開基】祐円和尚(古川孫ェ門入道)慶長14年(1609)卯月29日生
【本尊】阿弥陀如来
【由緒】開基祐円和尚は、後陽成天皇の御宇、永正15年(1587)戊寅2月15日誕生。その祖は菅原右大臣の家臣古川氏の孫裔俗中飯盛の住人古川孫左ェ門西本願寺一派に帰依し、家は嫡子孫右ェ門に譲り出家す。しかして正親町天皇の御代天正元年(1573)55歳にして祐正精舎を建すとある。
要津山祐正寺は天正14年(1586)上飯盛村下分、現在の東与賀町中飯盛の地に古川孫左衛門尉法躰祐円法師の創建と言う。
それより100年を経て第4世宗信教師の延宝8年(1680)当舎を現在地の西与賀町元相応に移し、弥陀の本誓を開信する道場たることをここに法燈400年なりとある。
現在の建物は昭和4年に建立され、その後昭和43年に大改修されそのおり山門より棟札が発見され次のような銘が記入されていた。
○寛延己巳貮季 大工石田右衛門尉 奉建立御堂宇現住桂秀小工数人 鑑治○賀伊左衛門惣棟
山門を入って右側に祐円和尚の墓がある。自然石を尖頭形にくりぬき高さ95cmで底部はいけ込みとなっている。墓碑の前面に次の銘が記されている。
慶長14巳酉 祐正教寺開基釋祐圓廟
また本堂中央の前面に縦70cm、横1mの額に親鸞上人の絵が描かれている。この絵は越後の国(現在の新潟県)居多ヶ浜へ御上陸のお姿を描いた貴重な絵である。これは広島県出身で、東光会会員の武永槙雄画伯の作とされ近年当寺に寄進された。

出典:西与賀の歴史とその周辺p22

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