楊柳寺縁起
楊柳寺縁起
■所在地西与賀町大字厘外720
■年代中世
■登録ID234
当寺の創建は慶長3年(1598)にして、本尊は楊柳観世音菩薩なり。かつて鍋島直茂公征韓の役に出陣し、凱旋の後大病に罹り日々重態に陥られけらば、臣等一同、日頃公の信仰篤き楊柳観音に平癒祈願を籠(こ)めしに、数日の後、霊夢のお告げに、鋤崎(川副地区)海中に観世音の海底に埋没せるを知り、これを迎えて霊地を選び、一宇の伽藍を建立せり。これ時に、慶長3年6月19日にして霊感空しからず、公の病状俄(にわ)かに改りければ、同所を大悲山楊柳寺と命名せりと傳ふ。
以来公の信仰益々篤く、元和4年(1618)6月3日公の没後、勝茂公の宰領となり、信仰愈々篤きを加え祭祀の俸禄、堂宇の建築修營等の規定を設けられ、毎年例祭を執行さる。
また、鍋島家歴代の精霊祭を厳修すること爾来勤續今日に至れり。しかるに明治維新の改革(廃藩置県)に際し、藩主の待遇中絶され、時勢漸次(ぜんじ)衰退(すいたい)し、明治27年頃は堂宇全く廃れてただ寺院の形骸を留むるのみ。
しかるに15世住職早崎徳仙師は由緒歴然たる楊柳寺の衰退を嘆じ、憤然として起ち、その復興に専念努力すること多年に及びて、近時漸く山門の隆昌を見るに至れり。
ちなみに、開山は「葉隠」の傑僧湛然梁重大和尚(高傳寺11代住職)にして、山本常朝も膝下にて得道、仏道を修行す。近くは、陶芸家只一人の芸術院会員故青木龍山師は、若き日、徳仙和尚の導きにて今日在るを忘れずとて10年毎に来山し、過日大本山永平寺の法堂に、道元禅師750年(平成14年)の御遠忌に当り天目の大香爐を寄進し、若き日の報恩の一端に酬いし旨地元紙に報ぜらる。
出典:ワークショップ