松平晃

松平晃

■所在地佐賀市神野
■登録ID1925

 歌手。本名福田恒治。高岸(現多布施3丁目)に生まれる。大正13年(1924年)3月神野小学校卒業。佐賀中学に進み、昭和5年(1930年)3月卒業、東京の武蔵野音楽学校に入学、1年後東京音楽学校に入学した。在学中の昭和7年ポリドールで吹き込んだ「忘られぬ花」が大ヒット、翌昭和8年(1933年)3月、音楽学校を中退してコロンビアの専属歌手となる。そして、「サーカスの唄」「急げ幌馬車」「花言葉の唄」などの大ヒットで、コロンビアの看板歌手になり、藤山一郎、東海林太郎、霧島昇等とともに日本の歌謡界をリードした。松竹映画「純情二重奏」にも出演したりした。
 晩年に、松平晃歌謡学院を設立、新人歌手の養成につとめたが、昭和36年(1961)3月8日急死、48歳の若さであった。
 前記の外のヒット曲に「人妻椿、上海航路、何日君再来、初恋日記、夕陽は落ちて、希望の首途、利根の舟唄、港の雨、泪のタンゴ」などがある。

出典:神野p174(神野小学校100周年記念誌)