宮地嘉六

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宮地嘉六

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■所在地佐賀市神野
■登録ID1924

 小説家。明治17年(1884)6月11日生まれ。神野小学校を中退して仕立屋の見習小僧となりその後、佐世保の海軍造船廠の見習工施盤になり、それから呉、神戸、長崎、東京の大工場を転々とする。その間に文学に興味を持ちだし、堺利彦、幸徳秋水等の著者によって社会主義思想に近づき、呉海軍工廠のストライキで首謀者として投獄されたこともあった。初めは、所謂前期プロレタリヤ文学に属する労働者文学であったが、まもなく自由な立場の作風に移った。貧しかったころは、広告の裏に原稿を書いていたという。
 作品に、「煤煙の臭ひ」「或る職工の手記」「旅浪者富蔵」「愛の十字街」などがある。
 神野公園には「豆腐屋は近し手軽な自炊かな」の句碑がある(※)。
昭和33年(1958年) 4月10日没。

※石碑の背面には「宮地嘉六文学碑」とあり、正確には文学碑である。この文学碑は昭和34年4月に建立された(昭和34年4月6日付佐賀新聞)。

出典:神野p174(神野小学校100周年記念誌)

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