木起地蔵

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■所在地佐賀市高木瀬町大字長瀬(平尾)
■登録ID1802

 平尾地区河原の東の田の中に、国分寺総門の跡であると伝えられる所がある。昔この所に大きな樟の神木があった。文政11年(1828)8月の大風にこの樟が根元から倒れ、かたわらのお地蔵さんの堂宇に落ちかかろうとした。そこで庄屋蒲原忠右ヱ門が村民と協議し、明朝になってから大和町小川村の木こりに頼んで、この樟の木を伐採しようとした。その夜ふけ丑の刻になって、エイエイと騒がしい人の声がした。村人はこれを怪しんだが、翌朝になってみると樟の大木は元のように立ち直っていた。さては昨夜ヱイエイとかけ声をかけて樟の木を起したのはお地蔵さんであったろうということになって、それからはこのお地蔵さんを木起しの地蔵と呼ぶことになった。その時から参詣の老若男女が非常に多くなって時には代官所から参詣を差止めるようになった程であるという。又お詣りすればいぼがなおるということで一名いぼ地蔵さんとも呼ばれていた。この地蔵さんも今は平尾天満宮の境内に建てられた一宇の堂に安置されている。
 庄屋蒲原忠右ヱ門の屋敷は、大塚八郎氏宅の裏の畑の所にあった。今も畑の隅に
屋鋪大明神
  慶應二丙寅
  願主 蒲 原 忠 平
と誌された石のほこらが残っている

出典:高木瀬町史P307〜308

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