坪ノ上天満宮

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坪ノ上天満宮

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■所在地佐賀市高木瀬町坪の上
■年代近世
■登録ID1783

 昔は曲渕天満宮と称していた。享和3年(1803)村の鎮守として地区の東北隅(鬼門)に創立された。周囲は杉の森にかこまれ、裏には一本の松の大木が天にそびえていた。風のない日でもその下に行くと松風の音がしていた。この天満宮が現在の所に移転されたのは、大正の初め頃であった。天満宮のあった一帯は今も天神という地名で呼ばれている。曲渕の名は、前に鎮座されていた所の地名で、脊振山の三瀬峠を北に越えてすぐ下の地区である。そこに住んでいた秀島氏などが坪ノ上に転居して来た時に奉じて来たものであるから曲渕天満宮といわれていたという。
 この天満宮も昭和11年5月に社殿が新築され、元の社殿は現在、永渕三津雄氏宅の一部に移築されている。
この時の建設委員は永渕惣三、八田市三郎、福地新四郎、古賀平一、赤司伝三郎、小林六郎各氏であった。建築浄財の寄付芳名塔は翌年1月の建立となっている。
 鳥居の銘には
 右柱
 天下太平 国家安寧
 五穀豊穣 萬民快楽
   宮司 於保山眞乗坊長眞
   青 木 庄 市 郎     木 原 弥 兵 衛
   木原喜右ヱ門    松本松右ヱ門
   木 原 善 十   三 浦 伴 兵 衛
   久 保 完 三 郎     原 武 右ヱ 門
   木 原 文 蔵   秀 島 武 十
   野中佐五右ヱ門  中 島 六 平
   青木三郎兵衛    中 島 喜 兵 ヱ
   中 島 郡 平   古 川 佐 兵ヱ
 左柱
 奉造立大日本国鎮西之前州佐嘉郡坪上邑萃表一柱
 維時享和三癸亥天日吉祥
     氏子中改○○
          石工人敬白 と刻されている。
 又眞言宗由緒に、嘉瀬荘宝樹山大權現社、徳書院の末寺である徳永村眞乗院の抱えとして、熊野大權現、同郡坪上村と書いてある。これは寛政3年(1791)亥6月の届書であるから、その頃の熊野大權現はどこにあったであろうか。現在坪ノ上天満宮境内の西寄りに比較的大きい石のほこらがあるが、あるいはこれがその大權現であって、寄宮をしてここに移したものと思われる。この外に、境内西寄りには地蔵尊、笠石らしき石造仏、六地蔵、観音石仏、流嫡社、庚申塔、追薦塔などが並んでいる。地蔵尊には三界万霊、文政2年(1819)10月吉日、庚申塔には、庚申尊天、文政2年12月吉日の彫刻がある。特に珍らしいのは、ここの六地蔵である。普通の六地蔵と異なって、六地蔵さんの上段の方に、尚六体のお地蔵様らしいものが刻まれている。この形態の六地蔵は町内では見当らない。又かすかに「干時永正十五寅(1518)」の文字が読み取られるから約460年も前のものである。
又境内には、観世音菩薩、薬師如来を祀った小宇がある。約一坪弱の小さいものであるが、大正15年、女連中によって再建たことになっている。毎年7月17日には、女の子ども達が豆祇園をしてお祭をするという。

出典:高木瀬町史P289〜292

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