本土井と野狐

本土井と野狐

■所在地佐賀市東与賀町大野
■登録ID1165

大野地先の本土井付近から白島(しらとう)や隣町の佐賀市西与賀最南端は、昔から草原と笹薮に覆われた海岸堤防に囲まれていたために、野狐の生息地ともなった。古老の話では明治初年から2、30年の頃にかけて最も多く群をなしていたらしく、終戦(昭和20年)後も大野神社の裏道辺りまで1匹2匹と仲間をつくり痩せ細った姿を見せることもあったとのこと。この狐群は人間に危害を与えるよりも、民家に飼っている鶏を取るために出て来るのである。夜になって鶏舎に安眠している鶏や雛を捕えその血液や卵を仔狐に飲ませて、元気づけるそうである。
これらの狐群は一度甘い味を占めると、毎晩のように出て来て、その被害は相当に大きくなる。そのために狐捕りのばなを掛けるが怜悧な動物で仲々掛からない。仕方がないので夜中けたたましい鶏の鳴き声に、村人はこれ来たとばかりに蚊帳から飛び起きて、鶏を口に喰わえている狐を追いかけるのである。驚いた狐は獲物だけは決して離さず、足早に逃げて一向に追いつけない。しかし狐は200mばかり走ると必ず後方を振り返って、人を警戒するという習性がある。その振り向いて立ち止まっている時間を見計らって、人は追い着くまでに迫るがその瞬間に走り出して、追っても追っても追い着けないとのこと。これも古老たちの述懐する笑話である。よく農村の昔語りに「狐のごぜん迎え」とか、「木綿織りの機の音をさせる」等の流言もあるが、果たして真実はどうであろうか疑問である。

出典:東与賀町史P1225