焼夷弾による爆撃
焼夷弾による爆撃
■所在地佐賀市東与賀町中村
■年代近代
■登録ID1156
中村村落での一番の悲劇は、昭和20年8月5日午後8時頃アメリカ空軍より受けた焼夷弾攻撃である。被害を受けた家屋と人名は次の通りで、ほとんど全焼であった。
富吉政一・石丸六次・山口平八・高松秀次・山口金吾・石川虎六・古川明
この時B29の約十数機の編隊は、中村の西南方面より飛来し来り、東与賀小学校の方向へ去ったので多分学校を軍需工場と見て、襲いかかったのであろう。ボタンの押し方が多少早かったためか、風速や高度のためで何等罪もない中村の民家に焼夷弾が落下したのである。焼夷弾の型は六角型で長さ約40cm、下方に数本の木綿の布がつけられ、さかさまに落ちない工夫がしてあった。この空襲の数日後に村人が不発弾を1か所に集めて無断立ち入りを禁じていたが、8月8日のこと当時15歳の少年が石畳の上で叩いたため破裂して即死し、その側で遊んでいた少年2名も片眼を失明したのである。今にして思えば本当に残念で気の毒なできごとであった。
出典:東与賀町史P1204