船津八幡宮

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船津八幡宮

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■所在地佐賀市東与賀町大字下古賀乙807
■年代無し
■登録ID1110

船津の村落の北端に、船津八幡宮を祀っている。創立400年とあるが、その年月は不詳である。元禄の頃の創建とも言われ、本庄町の鹿の子との関係が深い。これは実久の村岡氏宅に保存される「八幡宮遷座の絵図」によって証明されるようである。もともとこの「船津」は「鹿の子船津」の名称が今日も残っており村落の形成上の関係が濃厚である。宮の鳥居には「安永七年戊戌四月吉日奉寄進御宝前」と刻まれ、施主副島内蔵之介外4名の銘がある。八幡宮における宮祭りの番帳さんが現在残っている。元禄時代の古い紙片に書かれたものであるが、その番帳さんに紺屋や油屋等の家業名が記されている。これらによって当時の集落の状況も想像されるのである。しかも農家は米の利息金でお祭りをやったが、漸次に農家が減少したために、宮祭りもできなくなった等の記録も残っている。
この境内には天照皇太神宮の大石(元禄7年甲戌2月11日建立)をはじめ、明治・大正時代に奉納された盥漱・狛犬や、また昭和13年奉献の燈籠等が数多く並べられて、村落民の信仰心の厚さが証明され嬉しい限りである。明治・大正・昭和と戦前までは東与賀村における三大村社の一つとして地域住民の崇敬が広かったのもここに大きく起因するものである。

出典:東与賀町史P1165

【神社名】本地八幡宮
【祭神】応仁天皇
【社殿】建坪15坪
【境内地】167坪
【由緒】
創立400年ほど前とあるが、年月は不詳である。龍造寺隆信公がこの地を本地(本陣)として戦いをしたとのことで、本陣を祀って「本地八幡宮」という。病気や火災等の災難をよけるために本宮を創立したとのことである。
この船津八幡宮は、終戦前までに下飯盛八幡神社・住吉神社と共に東与賀村における三大神社として崇敬され、毎年盛大な祭典が挙行されていた。
八幡宮の現在位置は、旧位置よりも西北部に移動している。その際に飯盛八幡宮の古材を記念としてもってきて改造したらしい。それは昭和10年の頃である。

出典:東与賀町史p1114

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