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[指定文化財][佐賀市][無形民俗文化財]は8件登録されています。
指定文化財 佐賀市 無形民俗文化財
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快万浮立
重要無形民俗文化財
佐賀平野各地に多く伝承されている天衝舞系統の浮立で、藩政時代から伝承されてきたと思われ、長く途絶えていたが、昭和60年代に地区有志により復活をした。 4年に一度大字別の輪番で香椎神社の秋季大祭で奉納され、大太鼓、鉦、笛の伴奏でゼンジャーコ(銭太鼓)とモリャーシ(締太鼓)が舞う。浮立の構成人員は約40人。 曲目は道行き、鳥居がかり、神の前、四つまくり、三つまくり、でやぁーがある。 ゼンジャーコは、直径5センチメートル、長さ30センチメートルほどの竹筒の中に銭や鈴を仕込み、振ると音がでるようになっており、筒の表面を色紙で飾り、両端に飾りの房がつけられている。
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東与賀銭太鼓
重要無形民俗文化財
明治後期に、島根県出雲地方から東与賀町の今町や船津地区に伝えられたといわれている。まつりや祝いの席で披露されていたが、戦後次第に衰退し中絶していた。平成3年3月に町内の有志によって「東与賀銭太鼓を育てる会」が発足し、現在は町内外での特別な行事の中で広く披露されている。 銭太鼓は、30センチメートルほどの竹筒の両端に穴あき銭を数個針金に通して取り付け、振ると中で銭が触れ合ってでる音を利用したリズム楽器である。民謡などに合わせ、両手に持った銭太鼓がくるくると空を舞ったり、床に打ちつけられたりして、銭太鼓特有の澄んだ音がでる。
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海童神社奉納浮立
重要無形民俗文化財
海童神社の秋季例祭に豊作豊漁を感謝して奉納される伝統的な浮立で、佐賀平野に広く伝承している天衝舞浮立である。起源については、寺井津の住人、玄蕃亮常利が中断していた浮立大神楽を再興したと伝えられている。 特徴と見所は、奉行、笛、鉦、大太鼓、和讃(モリャーシ)その他で構成されている。神輿巡行のときはお供として道囃子を奏しながら練り歩く。神社や御旅所の境内では、本ばやし、つくい浮立が奉納される。天衝舞人は浮立の主役で、神前で神を拝み、囃子に合わせて舞い、太鼓を打つ。 つくい浮立は娯楽性の高いもので、なかでも「すもとい(相撲取り)浮立」といって、相撲甚句に合わせ、浮立の打子が「ドスコイドスコイ」と掛け声と踊りが名物である。
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松枝神社奉納浮立
重要無形民俗文化財
筑後川河口に筑後川とその支流早津江川に挟まれた大三角州があり、北半は福岡県大川市大野島、南半が大詫間である。大詫間の松枝神社の秋の例祭に奉納される天衝舞浮立である。発祥の時期は明らかでないが、神社創設の元和9年(1623)ごろより、水に苦労した干拓地で、八大龍王に浮立を奉納して雨を祈願したのではないだろうか。 特徴と見所は、例祭当日は早朝4時ごろ、高張り提灯を先頭に神社境内に入り、1時間ほど浮立が行われる。浮立は18歳から26歳までの青年男子が中心で、奉行・笛・小太鼓・鉦・大太鼓で構成されている。道行きでは、道囃子をはやし、神社では本浮立・つくり浮立が奉納される。
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太田の浮立
重要無形民俗文化財
太田神社で5年に一度行われる秋の例祭に奉納される浮立で佐賀平野に伝承する天衝舞浮立の一種で、神輿のお供として従う。道行きの順序は神輿を先頭にモラシ、笛吹き、太鼓、鉦打ちの順で「道行き」を囃しながら従う。神社参道にはいると「長道行き」で神前まで進み、モラシが中央に2列に向かいあって並び、その後に鉦打ちがひかえる。太鼓打ちは謡いにあわせて太鼓を打ち、謡いが終わると神前まで進み神の前の所作を行う。神の前は大太鼓打ちにより本囃子・マクイの順で行われる。マクイには、トートーヘイコ…と続く囃子歌を全員でうたい舞う。神の前が終わると花浮立を数曲舞って打ち込みの囃子にあわせ、神殿を巡って終わる。花浮立を数番行って「打ち込み」の囃子にあわせて神殿を巡って終わる。
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高木八幡ねじり浮立
重要無形民俗文化財
「ねじり浮立は」、以前は11月15目の高木八幡宮秋祭り(お供日)に奉納されていたが、現在は11月中旬の日曜日に実施している。構成は、天衝舞・大太鼓・鉦・モリャーシ(締太鼓)・笛・お謡いなどからなり、鉦打ち・モリャーシがそれぞれ2列になって笛に合わせて「道行」で神前まで進み、神前で舞う祓え=本囃子と「エイヤー」と「まくり」が奉納される。天衝舞は大太鼓や笛に合わせて勇壮に舞う。 この浮立の呼称は、青壮年男子が掛け声とともに、上体をねじらせて鉦を打ち、モリャーシの子どもたちも鉦打ちと同様の所作をして小鼓を打つことから「ねじり浮立」と呼ばれるようになった。また、鉦打ち・モリャーシともに頭の上に「旗さし」を立て、女物の衣装・稚児衣装をまとうところは、勇壮な中にも派手さの混じった舞囃子である。 高木八幡ねじり浮立は、佐賀平野に広く分布する玄蕃一流浮立(天衝舞浮立)で、ねじり浮立という名称の特徴をよく伝えている。高木瀬地区では唯一の浮立であり、貴重である。
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浮立玄蕃一流
重要無形民俗文化財
弘治2年(1556)5月、未曾有の旱魃(かんばつ)を憂い掘江大明神に雨乞祈願のため、神職山本玄蕃がこの浮立を舞ったので、「玄蕃一流(げんばいちりゅう)」というようになったと伝えられる。 玄蕃は自分の年齢47歳にちなみ、大もらし20、小もらし27を以って囃方(ばやしかた)とした。また、カサボコ数本はすべて女性の着物と帯を用いたとされる。 『鍋島直正公伝』に、由来久しき歴史を持つ古い雅の歌舞は華奢のものではないと言うので幕末鍋島藩の大窮乏時代非常時倹約令が出た時も他の歌舞、遊戯は一切停止となったが村々の浮立だけは興業を許して取締まるだけにした。 とある。現在では掘江神社の氏子草場、東神野、西神野の3か町が交替で毎年11月3日の祭典(供日(くんち))に奉納する習わしとなっている。 浮立の構成はほぼ次の通りである。(人数は概数) 天衝舞1、大太鼓打ち3、もりゃーし(締太鼓)20、鉦打ち20、笛方6、謡方3~5。この外宰領、世話人、供人が参加する。天衝舞は、日・月と雲龍を画いた直径1メートルくらいの紙張の前立を頭に被り、たっつけ袴をはき、腰にゴザをつけている。 「道行き」で、神社まで向かい、拝殿前で「本囃子」「まくい」が奉納される。天衝舞人は、太鼓の撥(ばち)を両手に大太鼓を打ち謡につれて舞い踊る。 天衝舞浮立ともいい、佐賀平野部を中心に天山山地から有明海沿岸まで広く分布している。
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小松の浮立
重要無形民俗文化財
天衝舞浮立は、佐賀市を中心に伝承されている芸能で、天衝舞、天月舞、天竺舞あるいは玄蕃一流浮立又は浮立大神楽などと呼ばれており、小松浮立も天衝舞浮立のひとつである。 この芸能の起源伝承は各地異なって一定しておらず、小松浮立は平氏の落人伝説にその起源をおいている。 平清盛が福原に新都を築いたとき、何度島を築いても波のため流されたので、平家の公達1人が人柱に立ち、同時に浮立を演じて完成を祈願し無事に完成することができた。島の名に因んで、この浮立を築島浮立という。平家滅亡後、この地に落ちのびて来た平家の残党が、小松殿平重盛を追慕して、集落名も「小松」とし、この浮立を小松神社に奉納したのが始まりという。 小松浮立が他の天衝舞浮立と異なっている点は、笛が用いられないこと、ゼイが用いられることである。笛を用いない点については、平敦盛の「青葉の笛」の故事に基づき、これを忌むと伝えている。